続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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C-02-07伏見区の京都教育大学「学びの森ミュージアム」見学記

   琵琶湖疏水の散歩道・第491話(2012-07-25)  KANKANBOW

 


1)見学の経緯

  私は近隣の森に生育する樹木「メタセコイア」の由来に興味があり、そのいくつかを紹介してきたが、伏見区にも「森林総合研究所・関西支所」と京都教育大学内の「まなびの森」に存在することがわかったので、日帰りの同時見学コースとして訪問を計画した。しかし、見学可能な日の制約から2ヶ所に分けて別々に見学させていただいた。

今回は、6月25日京都教育大の美術館と近隣にある藤森神社のアジサイ見学をセットにして楽しんできた。

 

2)京都教育大学「まなびの森ミュ-ジアム」発足の話題

 今年の3月に発行された大学の広報誌「KYOKYO」129号を参考にして要旨を紹介する。学校の正門を入り、右手のゆるやかな坂道を通って木立の中に入っていくとハイカラな平屋の洋風建築物に出会う。これが「まなびの森ミュ-ジアム」である。

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  建物の正面写真(201206254944)    右手にある紹介板(201206254945

 

 教育資料館「まなびの森ミュ-ジアム」は、旧陸軍第19旅団司令部を改装した施設です。

明治30(1897)年、現在の京都教育大学の場所に、第19旅団司令部、京都連隊区司令部、歩兵

38連隊が置かれました。

 日中戦争が本格化するなか、陸軍第19旅団を統括する第16師団は上海、南京へと進撃し、その後、第19旅団は第19歩兵団に編成替えとなります。太平洋戦争で彼らがフイリッピンへ

移動すると、第53歩兵団がここにおかれましたが、これもビルマ(今のミヤンマー)へ出征してしまい、昭和20(1945)年には京都地区司令部が入って、終戦を迎えました。

 京都教育大学の前身である京都学芸大学が、京都市北区から現在の藤森地区に移ってきたのは昭和32(1957)年のことです。平成22(2010)3月に師範学校以来の教材、教具、作品などを紹介する展示室となりました。

 

3)ミュージアムの内部紹介

 展示物は統一性がなく、一部屋ごとに全く無関係のものが展示されている。しかし、質的にはレベルが高い。私には紙関係の収集が多く、子供時代の切手・マッチラベル・乗物切符に加えて古銭・小型広告・世界のビールマットが加わり、さかづき・小型人形・絵葉書など種類は増える一方である。従って私にとって対象が部屋ごとに変化するのは嬉しい感覚であった。代表的な展示物を配布資料に沿って紹介する。

    理化学実験設備の展示

戦前から戦後にかけておよそ200点の機器類が保存されており、その一部が常設展示されている。私のように80歳を越え、化学技術者の道に進んだものにとって懐かしいものが多く、個々の説明文も理解できた。高瀬川にある「島津総合資料館」のような大型

施設の展示は無かったが、師範学校時代から伝承された機器は、この美術館の代表的な展示物と感じた。

    エジプトのミイラの展示

本学の先輩に当たる大崎隆平氏の父親が、1920年より3年間エジプトに滞在されたときに入手されたもので、3点のミイラ(左足の一部、右手首、左足の甲でそれぞれ別人のもの)は放射性炭素年代測定からBC831年からBC796年のもので、身長152.9cmの女性である。駐日エジプト大使館が返還を求めていない珍しい資料である。

    紙幣のコレクション

本館には江戸時代から明治初期にかけての紙幣1100点が保存されている。当館に伝来した経緯は不明であるが、藩札以外に旗本・宮家・社寺・町村・宿駅など各所で発行されたものもあり、多種多様である。当館に所蔵される紙幣のほとんど全てがデータベース化され、ホームページ上で公開されている。すごいコレクションで、しばらく展示物の前から動けなかった。

    地質・岩石標本

私は「車石」の石材や疏水工事の石材から花崗岩関連の調査を継続しているが、花崗岩(火成岩)やホルンヘルツ(変成岩)の実物が展示され、京都東山の岩質を具体的に解説した資料に接することができたことは私にとって嬉しい収穫であった。ネット調査で当館にこの情報のあることを発見したのが、今回の訪問のきっかけとなった。

“花崗岩は風化にもろく、歳月とともに白砂の真砂へと変化し続けて、白川の名を残している”とか“接触変成岩である固い岩石ホルンヘルツが大文字山や比叡山の山頂をつくっているため、風化に耐え昔からの山の形を今に残している”などわかりやすい説明文に接した。

 その他、明治時代の足踏み式オルガン、出土した考古学資料や保管された漢書など展示全体として本学の研究・教育のあゆみを語っているとまとめている。

   以上、冊誌129号の教育資料館長・大田耕人氏の解説文の一部を引用させていただいた。

 

(4)学びの森の樹木

 伏見区は、住宅化の進行で森の雰囲気が残っている場所が少なくなったが、京都教育大学のキャンパスに入ると、多くの巨木が残っており、緑の濃いゾーンを形成している。

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     構内施設配置説明図 201206254942   構内にあるメタセコイア並木道 2012-06-25-4947

 

 場所はJR藤森駅から徒歩8分以内であるが、京阪電車では墨染駅が便利である。今回歩いたのは、上に示す配置説明図の運動場の右側部分で、正門から入ると、重厚な姿の大きいクスノキが出迎えてくれる。

 前述の広報誌129号に美術科教授・岩村伸一氏の「京都教育大学の樹木について」と題した解説文があり、構内にはクスノキ、ケヤキ、カシ、エノキなど見事な大木が枝を広げて森を形成しているが、最近では建物の改修や増設工事で大樹のいくつかが姿を消している。これらの植栽の工事後の再生費は予算に計上されていない。

破壊は一日でできるが、「景観十年・風景百年・風土千年」の格言を示して教授は警告を発している。

 

 私が今回初めて訪問したときも、森の一部は工事用の塀で囲まれていた。生徒数の増加と教室の不足の問題をどうやって解決していくか難しい課題である。今回学生食堂を利用して昼食をいただいたが、昼食時間帯になると、湧いてくるように静寂な森の中から学生が集まり出した。

 今回の一番大きい目的であった「メタセコイアの並木道」には大学にふさわしい詳しい説明板が存在し、その由来や情報が記載されているので、別報として紹介する予定である。

 近い時期に、もう一度樹木に焦点を当てて訪問したいと考えている。


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