続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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B-08-15 車石・車道関連調査-3(歴史的背景からの考察)
        琵琶湖疏水の散歩道・第482話(2012-03-31)   KANKANBOW記
 
1)まえがき
 大津歴博で開催された車石関連企画展でボランティアガイドを務めたとき時代背景に関するいくつかの質問を受けたが、私の知識と記憶力の浅さから明確な返答ができず、他の内外土木事業との歴史的背景について整理する必要を感じた。私は所属する「近代京都の礎を観る会」の例会で紹介した「蒸気駆動鉄道の歴史の歴史と琵琶湖疏水完成時期の関係」と題した一枚のメモに、車石・車道研究会を通じて教えていただいた情報を追記したものを急いで作成し、個人メモとして対応した。そのご、若干補強した資料メモ(末尾に添付)を最近開催の「やましなを語りつぐ会」例会で紹介したが、企画展出席者も居たので話題の一つとなった。
 私は、平成17(2005年開催の「車石敷設200年記念シンポジウム」で初めて車石の詳細に接し、趣味を越えた学究的情報に感激したが、翌年に発刊された塩野七生氏の「すべての道はローマに通ず」(新潮文庫)を読んで、ローマ人が紀元前に敷石舗装の8万kmの幹線道路(車道・歩道を分別)を支配下の各国に完成させていた事実を知り、車の轍跡の写真を見て海外の歴史の深さに接した。
 今回は、日本における車石敷設の導入時期を、当時の内外の土木建築技術や大型土木事業と対比してまとめてみた。多岐にわたるメモの整理や調査の不十分な段階であるが、修正を要する点を順次整理して補正充実していきたい。
 
2)車石敷設に関連した時代背景
(1)角倉了以の保津峡開削時期との比較
 車石・車道研究会が平成17(2005)年に開催したシンポジウムは、東海道(三条街道)車石敷設200年記念行事であり、車石の知識が乏しかった私は、翌年の平成18(2006)年に開催された各種の「保津峡開削400周年記念行事」に参加したとき、車石敷設は保津峡開削よりかなり後との印象を持っていた。しかし、そのごの車石研究会の細部報告が竹田街道へと幅が広がり、今回の企画展で両者の時期の差があまりないことを教えていただいた。竹田街道に車石を敷設した時期を明確に示す記録はまだ見つかっていないようであるが、わずか50年くらいの差しかないことが判明し、先人の知恵を再認識することができた。
 
2)欧州・中近東地区で発展した土木技術
 世界の土木建設技術の発展史を読むと、紀元前8000年ころにヨルダンで日干しレンガの円形住宅が建設され、紀元前4400年ころに中国で道路の舗装や建物の基礎に焼成レンガが使用されている。古代エジプト・ギリシャ・ローマ時代では火山灰・石灰などのモルタルを用いた気硬性セメントが用いられた。
紀元前3500年ころにイラク南部のシュメール人が車輪を発明し、紀元前1500年ころにトルコのヒッタイト帝国では鉄器文化を育て、史上最初の舗装道路が登場している。このようにみると、昔の画期的技術として有名な「箱根用水」の完成した時期に、すでに日本で「車石を用いた車道」が整備されていたことを再認識させていただいた。
 
3)蒸気動力による蒸気動機関の導入が欧米より遅れた日本
 イギリスで産業革命の基礎を築いた蒸気駆動動力の技術は、欧米で広く採用され、主要各国は運河時代から鉄道時代に進んだが、日本は英国での発明から約50年遅れて新橋~横浜間の鉄道を実現している。この遅れが明治初期の土木事業の推進に大きい影響を及ぼしたことは事実であるが、世界に追い付く努力は評価すべきと思う。
 京都の町の発展とともに、地方からの貨物の京都市内への輸送路の様式も変化し、瀬戸内・淀川経由で京都伏見に集められた貨物の人力輸送や牛車輸送は、高瀬川の舟運と入れ替り、高瀬川の舟運は新設された鴨川運河の輸送に影響を受けて消え、鉄道や自動車輸送の影響で、鴨川運河も利用されなくなった。添付資料にはその経緯を年表で紹介している。
 一番残念なのは、車石を敷いた車道の本物が実物として残っていないことである。すべての要素を入れた車道の大型模型を再現し、どこかの展示場に車石車道を牛車が電動式に動く姿を常設展示してPRに努めたい。今回の企画展をその初期役割を果たしたと大きく評価したい。
 
(4)琵琶湖疏水に関する事項
 添付資料に示したように、琵琶湖疏水の完成は、東海道本線(東京~大阪)が完成した翌年であり、鉄道輸送との競合で苦しいスタートとなったが、道路の改修も徐々に進行し、1920(大正中期)ころから貨物自動車との競争もきびしくなり、終戦後まもなく船による輸送路としての役割は終わった。
 そのごも観光船の通路としての活躍を目指した計画が相次いだが、採算面から実現は難しいようである。現在では鴨川以東の名所を縦横につなぐ散策路や運動を目的としたハイキングコースとして広く利用されるようになった。また産業遺産の道として歴史を勉強して楽しむコースとしても注目されてきた。
 
以上中途半端な報告となったが、「車石・車道」の課題は愛好家のグループで評価が固まった段階になったと感じている。これを一般市民に定着させるには、知名度の高い他の課題との組み合わせ効果をねらう必要がある。その一助になれば幸いである。
 
 
添付資料
 
 蒸気駆動鉄道の歴史と「車石」、「琵琶湖疏水」との完成時期の関係(メモ)  
 
1606年 京都の豪商・角倉了以・素庵が江戸幕府に建議し、保津峡の開削を僅か半年で完工
1611年 角倉了以・素庵は京都と大阪を結ぶ10kmの運河「高瀬川」を着工、3年後に完成
1651年 日本の箱根用水が完成、竪抗技術で空気孔をつくる(日本の高度な伝統技術を採用)
1654年 竹田街道に江戸時代前期に牛車用の車石道が設置されていたという絵図が残っている
1681年 フランスのミディ運河(240km)が完成(平成08年に世界遺産)
1706年 東海道の蹴上附近に牛車用車道が部分的に設置されていたという記録あり
1710年 江戸時代の中ごろ、高瀬川の高瀬舟の数が188艘になったとの記録がある
1736年 東海道(大津~京都間)に部分的に設置された牛車用車道の改修工事が実施されている
1776年 イギリスのワットが蒸気動力による蒸気動機関を発明(明治元年の約60年前)
1776年 イギリスで産業革命がスタートする(竹田街道の牛車/車道は、120年前ころに完成)
1776年 アメリカ独立宣言の年
1804年 東海道筋の街道整備が本格的に実施され、車石の敷設が開始される
    当時ヨーロッパでは道路に木製レールを敷き、車をレールにのせる方法がとられた
1825年イギリスで世界初の商業用蒸気駆動鉄道が開業(運河輸送と交代開始、日本は50年後)
1827年アメリカで商業用蒸気駆動鉄道が開業(日本より45年先行する)
1830年「ねじりまんぽ」技術を用いたトンネルが英国で建造 日本最古は明治07(1874)年鉄道
1832年 フランスで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1832年 カナダのリドー運河(202km)が完成(平成17年に世界遺産)
1835年 ドイツで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1853年 インドで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1854年 アメリカのペリーが来日時に、4分の1規模の蒸気機関車を土産に持参、試験運転
1857年 長崎の製鉄所建設用に日本で初めて赤レンガが焼かれる
1863年 イギリス・ロンドンで地下鉄が開業
1864年 保津川の嵯峨から下鳥羽の鴨川を結ぶ西高瀬川を開削
1865年 東海道の車道の逢坂峠の掘り下げ、日ノ岡峠迂回路の新設工事が開始される
1866 年 ノーベルがダイナマイトを発明
1867年 北海道の茅沼炭鉱で、木製レールに車をのせて牛が引いて運ぶ方式があった
1868(明治元)) 明治新政府発足
1869(明治02)年  アメリカで北米大陸横断鉄道が開業、スエズ運河も開通
1870(明治03)年 工部省鉄道掛が堺に阪神間鉄道用レンガ製造所を設置
1871(明治04)年 日本で人力車が発明され、東京・京都で営業開始
1871(明治04)年 日本の遣米欧使節団が出発、1873(明治06)年に帰国
1872(明治05)年 新橋~横浜の鉄道が、日本で初めて開通(世界初のイギリスより47年遅れて)
1873(明治07)年 日ノ岡峠切り下で車石の一部撤去、翌年全面撤去し、マカダム式道路に改造 
1874(明治08年 東京深川の旧陸軍施設で、ポルトランドセメントの国産化に成功
1879(明治12)年 ダイナマイトが日本に初輸入、明治15年に三池鉱山で初使用
1880(明治13)年 逢坂山トンネル(655m)開通、京都~大津間の鉄道が開通
1881(明治14)年 小野田セメントの前身の会社が発足 
1882(明治15)年 安積疏水完成(オランダ人技師指導)
1884(明治17)年 柳ヶ瀬トンネル完成(1330m)完成、ダイナマイトがトンネルに初使用
1885(明治18年 那須疏水完成(南洋一郎技師指導)
1885(明治18)年 琵琶湖疏水の工事スタート(水脈との遭遇のため第一竪抗工事で難航)
1889(明治22)年 東海道本線の東京~大阪間が開通                
1890(明治23)  琵琶湖疏水完成(東海道線が開通した翌年完成)
1890(明治23)年 京都大津間に乗合馬車が開通
1894(明治27)年 鴨川運河(琵琶湖疏水系)が完成する
1903(明治36)年 京都・広島・大阪で蒸気駆動乗合自動車が営業を開始する
1903(明治36)年 第5回内国勧業博(大阪)で、外国の各種自動車が出品される
1912(明治45)年  京津電車・三条~大津札の辻間が開通
1920(大正09)年 高瀬川の高瀬舟が廃止され姿を消す
1930(昭和05)年 新高瀬川が開通
1935(昭和10)年 鴨川運河の運輸は「し尿船」のみとなる
1936(昭和11)年 疏水運河経由京都から大津に向かう貨物がゼロとなる
1943(昭和18)年 鴨川運河の伏見インクラインが運航休止、昭和41年に施設の一部撤去 
1951(昭和26) 最後の疏水船(大津~山科)が土砂運搬を実施
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