続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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B-02-56 山科疏水に架かる「大岩橋」建設の経緯について

      琵琶湖疏水の散歩道・第479話(2012-02-28)   KANKANBOW

 

1)代表的な三角橋・大岩橋の現状

 一般に運河(疏水)を新設する場合、既存する道路と交差するところに橋が架けられるが、舟を運航する場合は、舟の高さまで橋または両側の道路を持ち上げて設置する必要がある。

 橋を持ち上げる場合、流路に架かる橋の両端に階段をつけるため斜面は三角形の姿になる。道路を持ち上げる場合も流れの内側からみると三角形の石積み部が存在する。私達はこの形態の橋を「三角橋」と名付けて楽しんでいる。

 琵琶湖疏水系で舟が運航されたのは、疏水本線(大津運河→山科疏水→鴨東運河)と鴨川運河である。鴨川運河は平地に建設されたので三角橋もほぼ同じスタイル(標準型)であるが、山科疏水系は、平地と山の斜面を交互に通過しているので、三角橋のスタイルも変化に富んでいる。

 この中で、大岩橋(別名第9号橋)は典型的な石積みで造られており、橋柱には大正13(1924)12月建立と刻まれている。また利用度が少ないために約90年間橋の構造変化はなく、昔の優雅な姿をそのまま残して存在している。

    B-02-56-2-1 B-02-56-2-2

       北側の内側に見える三角形石積み部(20102月)      大岩橋の南側三角形石積み部{20102月)

 

私はこの橋を第7号、8号橋と同様、京都市所管の橋と推定してきたが、近隣住人からの情報で当初は個人住宅に渡る私有橋として建設されたことを知った。入手した大岩橋の新関連情報を含めてまとめたのが本報である。

 

2)大岩橋の建設経緯

 大岩橋を渡った北側正面に個人住宅が存在する。門扉から奥の玄関までの幅広い通路に秋になると朱色の紅葉が敷き詰められる素敵な邸宅である。最初の住人は大学教授(京大?)で、この地に外国人(ドイツ人?)設計の住宅を大正13(1924)年に建設したとき、門前

                 B-02-56-1

に流れる疏水を越える大岩橋も同時に私費で建てたが、その後玄関前の水道局管理地と大岩橋の所有権を交換して、現在は水道局の所管に変わったと伝えられる。(琵琶湖疏水記念館でも類似情報を確認すみ)

 その後大東俊一氏(後述)の伯父が同郷(岡山)出身であった最初の住人からこの邸宅を譲り受けて別荘として活用してきたが、昭和25(1950)年頃から大東俊一氏が伯父の住宅を借用して京都市から移り住み、伯父が死去したので、その遺族から住宅を譲り受けたのが最近までの経緯であると聞いている。

 

第3の所有者となった大東俊一氏の略歴を京大広報・No549(2009-09)から引用すると、

 昭和13(1938)年 京都大学工学部機械工学科卒(旧制第六高校出身)

               卒業後京大機械工学科の講師、助教授を経て大阪市大教授、岡山大教

               授を歴任

 昭和37(1962)年 京都大学工学部教授

 昭和54(1979)年 退官し、5411月から5804月まで摂南大学教授、6105月ま 

         で()日本自動車研究所長を歴任

 平成元(1989)年 勲二等瑞宝章を受章(自動車内燃機関分野の権威として知られている)

 平成12(2000)年 06月に逝去(84歳)

 

 俊一氏は、逝去年月から推定すると大正06(1916)年頃の生れで、平成元年に発行された京大卒業者名簿の住所は、御陵大岩になっているので、おそらく仕事を離れてから逝去されるまでの約10年間は疏水散策を充分に楽しまれたと推定される。

 大岩橋は、黒岩橋(10号橋)と正嫡橋(疏水上を斜めに架かる本圀寺の参道赤橋)の中間部に位置し、水路の北側は緩やかな山林の斜面がつながっており、そこに大東家の敷地が存在したが、昨年(2011)の後半に第4番目の所有者に売却されている。

    B-02-56-3 B-02-56-4

      外門から玄関に至る紅葉の道(20121月)       外門の南にある大岩橋の橋柱(20121月)

 

               B-02-56-2

3)大岩地区の山科疏水の景観

 山科疏水は藤尾~四宮~安朱~安祥寺~大岩と流れているが、北側の山裾は大部分が住宅・寺院・学校などで専有されている。天智天皇陵対岸の第7号橋を越えるあたりから永興寺まで山裾の北側散歩道は幅が広くなり、落葉を踏み分けて雑木林をブラブラできる場

所となっている。この絶好の場所周辺に住居を求めた文化人も多く、京大教授の大東俊一氏のほかに第10号橋(黒岩橋)の南側には、京都工繊大の前身である京都高等工芸学校の校長で、新臈纈染め手法を完成させた鶴巻鶴一氏の住宅が現存しており、第9号橋の南側には立命館大学経済学部教授で税法の権威であった加藤睦夫氏の住宅があり、夫人の加藤玲子氏は随筆家で、「疏水のほとりから」と題した本を2冊発行されている。

 

先日、大津市で「水辺の保全と琵琶湖の未来可能性」と題したシンポジウムに参加したとき、湖水と陸地との境界にある水辺が湖岸開発のため遮断・破壊され、古来種の魚の産卵場所が大きく減少したことが論じられた。また各地で山の斜面に展開していた里山風景が乱開発で破壊されていくのも寂しい限りである。

今回大岩橋の歴史の新情報を提供していただいた近隣に住む奥田さんは、御陵大岩地区の里山復元を目指して活動しておられ、今回依頼を受けて本圀寺講堂で実施した講演会「みんなの里山づくり講座(NPO法人・ビオトープネットワーク京都主催)」の幹事役としてお世話になった方で、講演会の席上で協力していただいた矢野さんにも感謝する次第である。

大岩橋の最初の所有者(建設した人)について、琵琶湖疏水記念館経由、疏水事務所でも調べてもらったが、より明確な記録は残っていなかった。さらに大岩橋に関する新しい追加情報があれば順次加筆修正していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 B-02-56-3(完)

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