続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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B-02-62 山科地区にある植物の話題④ 「山科植物資料館」にあるメタセコイア

        琵琶湖疏水の散歩道506話(2013-3-12)  KANKANBOW記

(1)まえがき

 平成23(2011)年度は、武田薬品工業KKの「京都薬用植物園」と日本新薬KKの「山科植物資料館」の見学をさせていただいた。両植物園とも最長樹高の樹木はメタセコイアで、前者の樹齢は60歳、後者は65歳と伺った。山科植物資料館のメタセコイア(和名アケボノスギ)は周辺の住宅化が進み、近隣マンションの高さに切断したと聞いたが、恐るべき成長速度である。

 メタセコイアの命名者は日本の三木茂博士で、昭和14(1939)年に関西地方で化石として発見、昭和16(1941)年に学会発表され、絶滅種の樹木とされてきたが、数年後の1945年に中国四川省に現存することが判明し、「生きている化石」と話題を呼んだ。日本への伝来は昭和24(1949)年で、アメリカのカリフオニア大学のチエニー博士が天皇に四川省の苗を献上したのが最初で、その翌年届いた苗が全国に配布されたという昭和伝来の歴史の浅い樹木とも言える。上述の「京都薬用植物園」と「山科植物資料館」のメタセコイアは、伝来直後の時代のものと想定される。

 その後、伏見区の京都教育大学「まなびの森」にあるメタセコイアの並木を見学し、三重県立博物館にある情報も入手、検討した。これらの内容の一部は、「やましなを語りつぐ会」の例会でも紹介したが、ここでは新しい情報も加えて少しくわしく紹介する。

 

(2)伝来の歴史の詳細

調べてみると、京都市の大学敷地内や植物園で「メタセコイア」の無いところは存在しないと言っても過言でない。敷地内を集団の形か一本だけで役目を果たしている。由来を示す説明板は各所に存在するが、その中から伏見区にある京都教育大「まなびの森」にある説明を引用すると、

・・・中国の中・南部に自生する針葉樹で、1948年に静生生物研究所の胡博士と南京大学の鄭教授によって記載されました。属名Metasequoiaは後述のように化石に基づいて日本で付けられた名前で、種名のglyptostroboidesは中国の水松Glyptostrobusに似ていることから名付けられました。成長が早く円錐形の見事な樹形を示すことから、各地で植えられています。本学のものは1966年頃に植えられたもので、当時は樹高2mほどの小さいものでした。

 メタセコイアの化石(Metasequoia distica)は日本列島各地の新生代第3期の地層から化石として産出します。また、日本のみならずカナダ北部やシベリア、グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していたことが知られていて、第三紀周北極植物群の代表的な樹木として位置づけられています。

 周北極というと寒冷な気候を思い浮かべてしまいますが、温暖で湿潤な気候で生育するものです。また新生代第四期になると地球全体が寒冷化して、氷期と間氷期がくりかえす時代になりますが、近畿地方ではこの寒冷期に伴って絶滅してしまいました。

 かってメタセコイアの化石は北米東海岸で巨木になるセコイア属あるいは湿潤なところに生育するヌマスギ属の仲間と考えられていましたが、1941年、当時京都大学にいた植物学者三木茂博士によって、セコイア属やヌマスギ属とは異なる新しい属として命名されました。このように化石から命名されたメタセコイアは地上から絶滅したものと考えられていたのですが、同じく中国の研究者によって長江(揚子江)の上流部四川省の奥地で発見され、1948年には新種記載がされたのです。

日本の各地でみられるメタセコイアは、中国からアメリカに贈られたものが、さらに日本にもたらされたものです。このようにして生きている化石は再び日本の各地によみがえりをしたのです。・・・  

                                    

 ・1convert_20130312013118 ・2convert_20130312013151          

    メタセコイア説明板 
2012-06-25-4948            校内全体図(説明版は中央下部) 2012-06-25 
  

   
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         メタセコイア並木道の外観  201206254946   

 

関西地区で一番有名なメタセコイアは、琵琶湖の北端に近い滋賀県高島市に存在する「マキノ高原のメタセコイア並木道」である。昨秋は、メタセコイアの思い出の締めくくりとして見学する機会を得た。

         ・5convert_20130312013255      

 この並木道は、県道に沿って延長2.4kmにわたって約500本が植えられている。説明版によると、この並木は、昭和56(1981)年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのがはじまりで、その後も植え継がれて約30年で現在の雄大な姿になったものである。

 この並木道は、平成06(1994)11月に読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定された。もう1ヶ所、新潟県豊栄市朝日町のメタセコイア並木も選定されているが、ここは1km・186本であるから、滋賀県高島町の並木道は日本随一の「メタセコイア並木道」である。この並木道は、春の芽吹き・新緑・夏の深緑・秋の紅葉・冬の裸樹と四季折々に美しく、円錐形のメタセコイアの並木とまっすぐに伸びる道路が造り出す対称模様の整った景観はすばらしいと紹介されている。紅葉前の深緑の季節の訪問であったが、季節を変えて見学したいと思っている。

 

3)メタセコイアに関する関連情報

1)日本新薬KKの「山科植物資料館」にあるメタセコイア

  説明の順番があとになったが、私が最初に訪問したのが「山科植物資料館」である。訪問の主目的が「壬生ヨモギ」であったので、メタセコイアの写真はわずか次の2枚であった。

  ・6convert_20130312013312 ・7convert_20130312013342

      アケボノスギの名札が付いており、メタセコイアの名は無かった(20111024006007)

  案内担当者の口頭説明では、前述のごとく近くのマンションの日射面から頂部を切断した巨木であり、その印象は強かったが、その時点で別名「メタセコイア」との説明があったように記憶している。

 

2)京都府立植物園のメタセコイア

 地下鉄北山駅を下車して入園し、右側にある「宿根草有用植物園」を進むと、「なからぎの池」の左手に「針葉樹林帯」が存在するが、その中に数本のメタセコイアが混在している。道に接近して植栽されているので、名札に注意しないと見過ごしてしまう。ここでは写真の掲示を省略する。

 

) 京都市内に存在するメタセコイアの「区民の誇りの木」について

 調べてみると、下記の8ヶ所に存在する。

上京区(京都御苑)・・・・・樹高23m、幹周1.81

  右京区(嵯峨水尾)・・・・・樹高35m、幹周3.15

  左京区(京都大学グランド)・樹高20.0m、幹周2.45

  東山区(知恩院)・・・・・・樹高19.0m、幹周3.15

  南区 (上鳥羽小学校)・・・樹高16m、幹周1.65

  伏見区(森林総合研究所)・・樹高24.0m、幹周2.80

  山科区(今屋敷公園)・・・・樹高12m、幹周1.45

  山科区(山科中学校)・・・・樹高15m、幹周1.85

 

 山科区の2ヶ所については、機会を見付けて写真を撮る予定である。

 

                  

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