続・そすいのさんぽみち

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A0448 琵琶湖疏水周辺訪問の略歴紹介平成242012)年の記録」

          琵琶湖疏水の散歩道・第500話(2012-12-27)  KANKANBOW

1)まえがき
 平成24(2012)1月から12月までの1年間の琵琶湖疏水関連の主要行動記録を表示したのが本報告である。今年の記録の特徴は、山科区の「やましなを語りつぐ会」に関係する行事が多くなったことで、もう一つは4月に私自身の足腰不調で長距離歩行の大部分のイベントに参加できなかったことである。
さらに「琵琶湖疏水の歴史散策」誌の改訂版が完成して礎の会主催の後半イベントで活用でき、「京都市上下水道局」が出版の協力団体として名を入れていただけたことを挙げたい。スタートしたから12年を経過したが、その成果が実感できるこの頃である。


2)年間行動記録
01月 氏神様の若宮八幡宮を新年の初日の朝参拝
        山科疏水の豊川稲荷、永興寺、毘沙門堂を参拝
        京都新聞一面記事「叡智・第一部」の世界遺産記事に「礎の会」が紹介
        京都アスニーで「森孝安の世界地図展」を見学、京都中央図書館訪問
    山科アスニーで「南極探検隊(料理担当から見て」講演会に出席
    大津市ピアザホールで「琵琶湖関連シンポジウムに参加
    京都高島屋で、犬塚勉絵画展を見学
        やましなを語りつぐ会の例会に出席(メタセコイア資料を報告)
        大津歴博で車石関係打ち合わせ
        京都府立図書館で、第二疏水関連の調査を実施
        琵琶湖疏水記念館の特別展「古写真で見る第一疏水建設展」を見学
    水道創設百周年記念行事が、岡崎京都会館で開催、参加
    礎の会メンバーの市会議員・内海貴夫氏の「新春夢まつり(ミヤコホテル)」に参加
    カッパ研究会の「鴨川運河舟曳き道ウオーキング」に参加

02月 熊野神社・吉田神社・聖護院門跡参拝、その他の節分祭に参加
    山科アスニーで、阪大の土山明教授の「宇宙衛星はやぶさ」の講演会に出席
    やましなを語りつぐ会の例会に参加、「笹の音9号(カラー版)」を受領
    「みんなの里山づくり講座」の成果報告会(東山にて)に参加
    京都アスニーで「森幸安の世界地図展」を見学
    大津歴史博物館で「車石トークバトル会」に参加

03月 京都府立植物園で「早春の草花展」を見学
    高島屋グランドホールで、安野光雄の「洛中洛外展」を見学
    大津歴博で、車石研シンポジウムに出席、アタカで打ち上げ会に参加
    岡崎公園散策(細見美・動物園・市美術館庭園・疏水記念館・京都国際交流会館を訪問)
        やましなを語りつぐ会の例会に参加
    岡崎十石舟試乗会・点灯式(欠)

04月 大津運河・三井寺のライトアップ開催中
        岡崎白川沿いの「竹中庵」見学会に参加、そのあと岡崎周辺を散策
    やましなを語りつぐ会の花見会(欠)
        山科疏水を散策(安朱~四宮)時に足部を痛める
    車石研究会のイベント「竹田街道散策」(欠)
        礎の会の総会(京都社会福祉会館)に出席
    「琵琶湖疏水の歴史散策」冊子の残部が近く無くなるので改訂版作成の準備開始
    山科疏水を散策(安朱~四宮)し、細部調査
    礎の会「平安用養育院」の生徒を十石舟に招待

05月 伏見区の大橋家庭園・森林研究所・魚市場遺跡碑を見学(車に同乗)
    5月6日で岡崎十石舟の運航を終了
        山科の閑栖寺訪問、住職と面談し裏手にある煉瓦塀跡を調査(2回訪問)
    やましなを語りつぐ会の例会に参加
    山科西友前で開催された「ふるさとの会」のパネル展を見学
    アクティ近江八幡で開催されたシンポジウム「琵琶湖の森の生き物」の参加
    やましなを語りつぐ会総会(山科区役所)に出席
    礎の会の内海貴夫市会議員が自民府連幹事長に就任

06月 疏水愛好者の小森千賀子氏と国際交流会館で初面談
        山科アスニーで開催された京都府大の山崎正秀氏の講演「森林問題」に出席
    やましなを語りつぐ会の主催の「日本新薬植物園」の訪問(欠)
        やましなを語りつぐ会の例会(山科区役所)に出席
    京都府立植物園を逆コースで散策
    京都教育大の学びの森ミュージアムと藤森神社のアジサイ見学 
    カッパ研世話人の加藤さん運転の車で、サンケイ新聞コラム担当記者を山科疏水ガイド

07月 やましなを語りつぐ会の「小関越えイベント」(欠)
    新緑の山科疏水を撮影散策(四宮一燈園前~疏水公園)
    やましなを語りつぐ会の例会(山科区役所)に出席
    山科疏水「みささぎの森」の依頼があり、本圀寺講堂で2回目の講演
        京都府立植物園でハス花を見学
    
08月 やましなを語りつぐ会のイベント「福田金属箔粉工業kkと上村堤防見学会」に参加
    京都大学のオープンキャンパスを見学
    やましなを語りつぐ会の例会(山科区役所)に出席
        琵琶湖烏丸半島のハス群生地を見学
        四宮徳林庵で、小谷昌子さんの「弦楽奉納演奏会」に出席

09月 やましなを語りつぐ会の例会(山科区役所)に出席
    礎を観る会幹事会(レストランさと)に出席(往復車に同乗)
    アスニー京都で今江秀史氏の「岡崎南禅寺界隈の群としての庭」と題した講演に出席
    山科アスニーで京都橘大学の木下達文氏の講演会「やましなにできること」に出席
    「琵琶湖疏水の歴史散策」の平成24年度改定版の原稿がまとまり、礎の会に提出
    京都産業会館シルクホールで、涌井雅之氏の講演会「森林景観保全・再生」に出席
        同志社で開催の「高瀬川シンポジウム」(欠)
    音羽川小学校で開催された「ふれあい音羽川2012」」のイベントに参加
    京都岡崎のレッドカーペットプロジェクト(欠)

10月 やましなを語りつぐ会の例会(山科区役所)に出席、当面の計画案を討議
    「みやこめっせ」で開催の「石不思議大発見展」を見学
    岡崎の竹中庵を初訪問、今後協力することになる
    花山天文台を初見学、山科地区を山上から展望、隣接する将軍塚展望台から京都市を望見
    京都御所の紅葉風景見学
    やましなを語りつぐ会主催の京都橘大学の山科疏水ガイドを実施

11月 京都府立植物園の菊花展を見学、山科区民の出品展示もあった
    やましなを語りつぐ会の例会(土山会長宅)に出席
    カッパ研究会主催の講演会「京都水盆」(欠)
        岡崎竹中庵を訪問し、当面の進め方について懇談
    やましなを語りつぐ会主催の京都橘大学学生の山科疏水見学コースの下見を実施
    礎の会が共催した第3回「秋の琵琶湖疏水(明治ロマンの道)スタンプラリー」部分参加
        やましなを語りつぐ会主催の京都橘大学の山科疏水ガイドを実施

12月 京都市水道創設百周年記念「疏水ウオーキングラリー」に部分参加
    山科図書館で語りつぐ会土山会長が「山科の100万年」展示会を開催し、見学
      「やましなを語りつぐ会」の望年会(山科区で)に出席
      「近代京都の礎を観る会」の忘年会開催(東山にて)
      「水車の竹中」のイベントがあり、竹中庵を訪問、大勢の関係者で賑わう

    注)参加を予定していて参加できなかった項目に(欠)を入れた

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 C-03-47 京大大学院理学研究科付属・花山天文台の見学

      琵琶湖疏水の散歩道・第499話(2012-12-20)   KANKANBOW

 

1)まえがき

 今年を振り返ると宇宙開発関係の話題が多かったが、私個人にとってもマンション5Fの北側通路から遠望できる花山天文台の見学は、学生時代から希望し実現してない課題の一つであった。山科区に住居を変えて、花山天文台の立地が山科区の領域内にあることを知りその期待が高まっていたが、去る1027日に一般公開されることになり、親族の車に分乗して孫と一緒に見学することができた。

 私自身は宇宙関係の基礎知識は極めて少ないが、山科区内に住む友人の多くがまだ見学していないので、訪問を希望する人のガイド基礎資料としてまとめたのが本報告である。正確な情報ではないないが毎年(要確認)公開日があり、当日は有料シャトルバスが主要駅(京都駅、京阪蹴上駅)から運航されると伺った。

 周辺の紅葉も見頃で、専門家や関係部門の学生が要所に配備されており、講演会も準備されているので、お勧めしたいスポットである。ただし、天候の悪い日は避けたほうがよい。

 

2)花山の地名の由来と天文台設置の経緯

 京都の地名研究会が発行した「京都の地名検証」に山科区の「花山」について解説されているが、多くの説があるようである。京都側で有名な「将軍塚」は花山の北西にある花頂山(天文台から歩いてすぐ近く)にあり、このあたりは花や華のついた場所や故事来歴が多い地域であるが、地名の由来については室町時代の足利義政や義教が訪れた“花の名所”であったという説明が分かり易い。花山の頂上近くの展望台から眺める山科区の全容はすばらしいが、将軍塚のある花頂山の展望台から眺める京都市中心部の景色もすばらしい。

 

淡交社から発行された「京都の近代化遺産」の「花山天文台」に設置経緯が示されているが、京都大学の最初の天文台は大正101921)年に吉田の本部構内に設置されたが、数年のうちに周辺の開発が進んで観測に支障をきたすようになり、次の吉田山が候補地となったが、京都府から風致を害する恐れがあると反対され、次の候補地として当時の山科町北花山に昭和041929)年に「花山天文台」が竣工している。

しかし、今回の訪問でいただいた資料「花山天文台・飛騨天文台」の記載によると、山科区の開発が進行して明るくなってきたので、さらに適地を求めて昭和161941)年に「生駒山太陽観測所(1972年に閉鎖)」に施設の一部を移し、さらに昭和431968)年に設置した「飛騨天文台」にその主要機能を移した。現在の花山天文台は、飛騨天文台や人工衛星で得られる観測データの研究解析や各所との交流や教育施設として役割を分担している。そのご平成222010)年には施設の一部を飛騨あらペルーのイカ大学に移設するなど国際協力体制が急速に進み。宇宙ステーションでの人間の長期滞在が可能な時代となってから、地上天文台の役割は大きい影響を受けている。

 

3)花山天文台の施設の概要

 所在地は京都市山科区北花山大峰町である。車で三条街道を京都に向かい、蹴上浄水場に達する少し手前の東山ドライブウエイに向かう坂を登り、阿含宗本山の建物前を進むと、すぐに花山天文台専用の駐車場に達する。そこから10分程度坂道を歩いて登ると天文台の建屋に達する。一般公開の日は専門の担当者が要所に配備されている。

    

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 左の写真は、現地で無料配布された14頁のカラー冊子の表紙で、花山天文台と飛騨天文台の概要・30名のスタッフの紹介・主要施設の紹介が6頁かけてコンパクトに解説されている。つづいて研究紹介として、①高分解観測による太陽活動の研究、②太陽地球環境と宇宙天気、③数値シミュレーションによる太陽・宇宙プラズマの研究、④恒星観測・岡山新望遠鏡計画の4件が6頁かけて紹介されている。最後の2頁に天文台のあゆみとして、歴史と主な活動がまとめられている。花山天文台の施設は、本館、別館、歴史館、新館、太陽館の5ヶ所にあり、本館には45㎝屈折望遠鏡、別館にはザートリウス18㎝屈折望遠鏡、太陽館には70㎝シーロスタット望遠鏡・3次元立体表示システムがある。

 

 右の写真は周辺の施設配置の写真であり、左上に東山ドライブウエイの入り口、中央上に阿含宗本山の施設、中央下のシャトルバス乗り場がある。右下に花山天文台施設があり、右下隅に太陽館が位置している。

4)周辺の風景と見学写真

   
          左は花山展望台から見山科区の写真であり、右は将軍塚展望台から見た京都市内の写真である。 
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          左は整備された花山天文台の写真であり、右は天文台周辺の細い雑木の林の写真である。

 

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           熱心に説明してくれる男女の担当研究者

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C-03-46 京都市水道創設100周年記念の年間行事のまとめ

       琵琶湖疏水の散歩道・第498話(2012-12-16) KANKANBOW記

 

1)まえがき

 今年は、京都市の水道創設100周年記念の年にあたり、年頭から年末にかけて多くのイベントや報告が行われた。年頭行事は122日に京都会館の第1ホールに1,600人規模の参加者を集め、京都市長ら来賓の出席のもとに、消防音楽隊の演奏で幕開けを行い、多くの関係冊子が配布されて説明が実施され、有意義な時間を楽しむことができた。

                C-03-46-1   C-03-46-2          

 その概要については、本ホームページ(C-03-43・473話・2012-01-23)で要点を紹介している。

 それから年末にかけて多くの報告やイベントが実施されたので、ここでは特徴ある事項を整理抜粋(文責は筆者)してとりまとめてみた。

 

2)記念冊子を発行

 京都新聞(2012-05-03)記事の要旨を引用すると、京都市上下水道局は記念行事の一つとして「市水道百年史資料編」を刊行し、来春には「叙述編」が刊行される。発行部数は1200部で、その500部は4200円で販売される。

 京都市は「琵琶湖疏水竣工記念事業」として「琵琶湖疏水の100年(叙述編・資料編・画集)を発行し、琵琶湖疏水愛好者にとってバイブル的存在として愛用されているが、今回の「京の水道百年史」も形のあるものとして残していただいた意義は大きい。

 

3)日本水道新聞(2012-05-0119)の特集号の要旨

 新聞の片面サイズ12頁にわたる百周年記念特集号で、とくに興味があったのは下記3名による技術鼎談内容の全文紹介記事であった。

   日本水道工業連合会専務理事  坂本弘道氏

   京都市上下水道局技術長    鈴木秀夫

   京都大学大学院工学研究科教授 伊藤禎彦氏

              

その内容は、豊富な経験と実務に基づいた質の高い技術対談で、我々が表面的に浅く理解していたものを噛み砕いて紹介していただき、私も数回読み返して百年の歴史を深く理解することが出来た。また招待された5人の来賓の説明内容も全文紹介されており、抄録記事に慣れている私も久し振りに全文記事紹介の力を実感することができた。

その内容細部は、上記記念冊子(未読)にまとめられると思うので、ここでは紹介を避けるが、機会があればその内容を部分的に引用したいと考えている。

 

 また、琵琶湖疏水の概要に関する記事も含まれている。この中に疏水水路の長さと水路の本格修理を実施した時期の記録が含まれている。よく質問される内容で、記憶に基づいて適当な返事をしてきたが、専門家の記録として引用させていただいた。

    各水路の長さ

   名称

長さ(km)

            区間の説明

1疏水

20km

琵琶湖取水点から伏見区の濠川となる地点

疏水分線

3.3km

琵琶湖取水点から北白川久保田町まで

2疏水

7.4km

琵琶湖取水点から山科安朱まで

2疏水連絡トンネル

4.5km

2疏水取水口の竪坑から安朱で合流

    水路の主な改修時期

大正151926)年 第2疏水の底板コンクリートの改修

昭和061931)年 第1疏水山科地区の開水路部分をコンクリートで底張り

昭和431968)年 ~491974)年に、第1疏水・第2疏水を全面改修

 

4)京都新聞(2012-08-1321)に8回連載された「潤いとどけて」

 京都市水道100年の紹介を新聞記者の目から解説した記事が8月に連載された。ベテラン記者2名が分担して作成した記事で、問題点も取り挙げられ多くの近隣住民の意見も入っており、興味深く読ませていただいた。見出しと副タイトルを紹介すると、

    おいしさの追求・・・「臭い」苦情に奮起

    偉業の足跡・・・・・都市近代化に貢献

    安全性の向上・・・・最高水準目指して

    追いつかない更新・・老朽管 全域で増え

    危機への対応・・・・水源分散で備えを

    需要の変化・・・・・時代に合う料金に

    市民の感謝・・・・・琵琶湖保全に活用

    返したい美しい水・・汚れ除去 整備進む

 以上3種の百年史を概読させていただいたが、同じ問題点をそれぞれ別の立場から解説しており、興味深かった。

            


5)京都市水道
100周年を記念した疏水ウオーキングラリー開催

 京都市上下水道局に記念行事として最後の大型イベントが121日に開催された。天候に恵まれ、1200人規模の参加者が歩いたが、その要旨については本ホームページ・分類「山科疏水」(B-0257・第496話・2012-12-08に紹介しているので重複を避ける。私が所属している「近代京都の礎を観る会」が最近発行した「琵琶湖疏水の歴史散策・改訂版」を参加者に寄贈したと伺っている。

                                     C-03-46-3            C-03-46-4

なお、私はラリーの一部しか参加しなかったが、蹴上まで参加した人は、蹴上浄水場で普段は非公開の浄水施設を見学したと聞いた。また、市民新聞845号(H24-9-1)によると、閉鎖した山ノ内浄水場の跡地が京都学園大の新キャンパスに貸与され、27年度に開設されて2学部が設置され、31年度以降、学生3000人規模に拡充されると報道している。

 

 

A-03-07「琵琶湖疏水の歴史散策・平成24年度改訂版」を発刊

        琵琶湖疏水の散歩道・第497話(2012-12-10) KANKANBOW記

 

1)まえがき

 私が化学技術者として50余年勤務した会社を退職した後の楽しみとして、「琵琶湖疏水の散策」に取り組んだのが平成122000)年であるが、74歳からの遅いスタートであった。そして現在まで3冊の冊子を発刊している。また平成152003)年にはホームページ「そすいのさんぽみち」とブログ「ブログ琵琶湖疏水の散歩道」を立ち上げている。そして12年を経由したが、今回は発刊した3冊に焦点を当てて経緯をまとめたのが本報告である。

 

2)3冊の冊子の仕様比較と経緯説明

 主要項目について比較表示したのが次表である。

冊子の名称

発行年

出版方式

発行部数

サイズ(頁数)

重量

琵琶湖疏水の散歩道

H152003)年

自費出版

 500

四六版250

300

琵琶湖疏水の歴史散策

H222010)年

礎の会発行

10000

B524

90

同上(平成24年度改訂版)

H242012)年

礎の会発行

10000

B524

75

 

 最初の自費出版本は京都新聞出版センターに編集制作を依頼したが、販売対象にはしてもらえず、活版印刷時代で増刷ができない時代で自ら本屋を選定して販売を依頼することになり、すべての販売リスクを背負っての初めての出版となった。しかし、予算の関係から500部作成が限度であった。当時は琵琶湖疏水の知名度も低く、興味を示す本屋も少なかった。ちょうどその時期に「世界水フォーラム」が日本で開催され、滋賀・京都・大阪のイベントの中で、琵琶湖疏水に十石舟を運航させる計画が進められ、京都新聞がこの本の出版とホームページ開設を大きく報道していただいたので、評判がよく在庫も少なくなり、発行費用面でのリスクが無くなるという幸運に恵まれた。

 

 もう一つの幸運は、同時期に発足した観光開発を目指す「近代京都の礎を観る会」が、私の著書に着目し、同会の重点推進課題として取り上げられることになり、求めに応じて同会顧問となった。礎の会所属の市会議員・内海貴夫議員のアドバイスを受けて、第2回の冊子の企画が平成21年度の京都市ニューツーリズム創出事業の認定に合格することができた。そして発行費用の一部支援を得て「琵琶湖疏水の歴史散策」の発行をすることが出来た次第である。同時に、鴨東運河に十石舟を運航する実行委員会が設立され、実行委員会メンバーの京都府旅行業共同組合の協力を得て、今年で10回連続の実績を挙げることができた。

「琵琶湖疏水の歴史散策」は多くのイベントに無料配布されたので、平成24年の春ごろ

に在庫切れが予測され、増刷の必要性が出たので、これを機に約2割程度の加筆・訂正・追加の検討を半年かけて実施し改訂版としてまとめた。この3冊目の発行費用は全額自己調達する必要があり、費用の全額は「礎の会」が負担して発行されたが、2回目の冊子の基本スタイルをそのまま踏襲して費用の節減を図り、配布の一部を有料で販売する方針が採用された。具体的には、費用の全額は「礎の会」が負担して発行されたが、発行組織の協力団体の中に京都市上下水道局も参加していただき、京都市水道創設100周年記念のロゴマークを入れさせてもらった。さらにこの改訂版を「京都総合観光案内所」や「琵琶湖疏水記念館」、「みやこめっせ」で有料販売(300円)していただけることになった。このように近代京都の礎を観る会の約10年の努力が市当局に認められて実を結んだと関係者一同は嬉しく思っている。

    

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   平成15(2003)年発行(拡大写真)      平成22(2010)年発行      平成24(2012)年発行

   

 3)まとめ

「近代京都の礎の会」は発足以来12年ほど経過したが、この10年余の経過を振り返ると、多くの運営上の問題に遭遇し、会員の高齢化も進行したが、高桑暉英会長のもと一つずつ問題点を解決してきた。近く84歳を迎える最高齢会員の私も自慢の健脚が大きく弱まり、記憶力の減退に悩まされるようになったし、会自ら行動する力を備えてきた。

また、疏水を散策する人も確実に増加してきており、「明治ロマンの道」の呼称も定着し始めたので、そろそろ顧問役を辞退せねばならない時期が近付いたと実感している。しかし、パソコン相手の机上作業は、出来る範囲を絞ってもう少し続けたいと願望している。


B-02-57 山科疏水の散策(27)錦秋の四宮舟溜り周辺を歩く

     琵琶湖疏水の散歩道・第496話(2012-12-08)  KANKANBOW記

 

1)まえがき

 最近は体調不良のため遠距離散歩を避けているが、121日の朝、自宅から歩いて約25分に位置する四宮舟溜りの周辺を散策してきた。当日は京都市上下水道局主催の「京都市水道創設100周年記念・疏水ウオーキングラリー」の実施日にあたり、参加は難しいがウオーキングを楽しむ人達の写真を撮ることも出かけた理由の一つである。雑件をまとめて記録として残したのが本報告である。

 

2)疏水ウオーキングラリーに参加した人々

 出発点における各種セレモニーのためか、先頭を歩くラリーの人が四宮に姿を見せたのは10時半を大きく過ぎていた。舟溜りの前にスタンプを捺印する机がセットされ、救護室も併設されており、応援を含め男女の係員8名を越す充実振りに上下水道局の熱意が感じられた。

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     最初に準備を始めた女性3人組      スタンプを捺印するラリー参加者

  

クイズポイント④

第一琵琶湖疏水は舟運に利用され、蹴上のインクラインを経由して大津から伏見までの物資輸送に活躍しました。この舟運はいつまで続いたでしょうか?
     昭和269月  ② 昭和40年9月  ③ 平成元年9

 

3)四宮舟溜り周辺は動物の楽園

 この話題は前にも取り上げたが、今日も青鷺と猫が仲良く同席している珍しい写真や

オシドリ夫婦が陸上と水上を互いに見張り合って散策者からの餌を求めている姿を確認できた。昔は釣り人が捨てた魚を期待する猫の楽園であり、猫を捨てにくる人のあったが、釣り禁止となった今も餌を与える人もいて、太った猫の姿は健在であった。

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 蒼鷺と2匹の猫       人の動きを見張るオス      その下をゆっくり泳ぐメス

 

4)紅葉の美しい舟溜り周辺の風景

 山裾の紅葉は秋の盛りであるが落葉した桜は冬の姿であり、この対照が印象的な風景であった。   

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     諸羽トンネル右横なる紅葉の大樹      すっかり落葉した桜並木

 

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       全部落葉して黄色に染まった銀杏の大樹    諸羽幼稚園前のツワブキの花壇

 

 針葉樹の少ない四宮舟溜り周辺は、冬になると緑色が消え、紅葉と黄葉が目立つ風景となってしまうが、その美しさはすばらしい。


C-03-45 福田金属箔粉工業KK見学記(その2)

    琵琶湖疏水の散歩道・第495号(2012-12-03)KANKANBOW記

 

1)まえがき

 見学時にいただいた「金属粉総合版カタログ」によると、金属粉製法として搗砕法・アトマイズ法・熱処理法・化学還元法・電解法・粉砕法など6つの製法を駆使して、小ロット生産から量産まで最新鋭の生産体制が整えられている。この中で、粉末冶金材料として銅粉・錫粉・青銅粉などの金属粉・これらの混合粉の商品群リストを拝見し、その充実ぶりに感銘を受けた。私は前に別目的で粉末冶金に関する概略調査をしたことがあるので、記憶を辿ってとりまとめたのが本報である。専門家でないので、間違いがあったらお許し願いたい。

 

2)粉末冶金の発展の歴史要旨

 粉末冶金という呼称は比較的最近と考えられるが、その技法は古く、今から少なくとも5000年前にさかのぼる。当時は鉄を溶かす温度を維持するのが難しかったので、海綿鉄を砕いて、加熱焼結して道具を製造していた。この技法を「粉末冶金」と呼称する。

 古来から日本刀の製法も砂鉄(粉末)を原料とし、得られた細長い鉄片を鍛えて作るが、これも立派な粉末冶金の技法である。福田金属箔粉工業KKは、1930年代にヘガネス社から粒状銅粉の供給を受けて商品化を進めるとともに粉末化の研究を重ね、昭和121937)年に国内初の生産システムを完成させたが、時代の流れを自動車の発展で説明すると、自動車1台に使用する粉末冶金部品は、昭和371962)年に10kgであったが、25年後には40kgに伸び、平成081996)年には65kgとなっている。

日本に「日本粉末冶金工業会が発足したのが昭和311956)年であるが、平成122000)年には粉末の時代と呼ばれるようになり、この波に乗って発展したのが福田金属箔粉工業KKである。

 

3)金箔・銀箔の市場について

 福田は、金箔の製造会社からスタートし、そのご主製品を機能材料の分野に展開して成功した会社であるが、金沢にも創業100余年で福田と市場を分け合ったカタニ産業KKがあり、そのご金沢にも金箔製造関連会社が増えている。

 昔の金箔の製法は、金の粒をタヌキの毛皮に挟んで槌で叩いて伸ばす手法が採用されていた。この手法で10円玉の金を叩くと、髪の毛の8分の1の厚みで2畳敷きほどに広げることができる。

 金に次いで展延性に富む銀も0.2ミクロン厚さの箔を作ることができるが、銀を放置すると水分・亜硫酸ガス・硫化水素と反応して黒くなる欠点がある。現在市場に流通している代表的な金箔の規格は、金94.43%、銀4.96%、銅0.66%である。金箔・銀箔・銅箔の市場の大部分を日本が抑えているが、携帯電話では折り曲げ可能なフレキシ部とプリント基板配線用の銅箔は日本(福田が大部分)が世界シエアの9割を占めている。

 金沢のカタニ産業KKは、その後の展開を金箔の利用応用分野に求めて、あぶらとり紙などの商品展開でユニークな実績を挙げている。

 

4)山科立地の工場を建設した背景

 福田金属箔粉工業KKの山科工場立地選定にあたり、琵琶湖疏水の水を利用した水車動力が期待できることを一つの理由に挙げている。私は山科盆地の灌漑用水路について全く知識を持っていなかったが、地元の歴史愛好家である武内良一氏とのコンタクトが約4年前から始まり、ほぼすべての灌漑用水コースを案内していただいた。そして、何人かの先輩研究家の報告書も紹介していただいた。

武内氏の調査によると、山科盆地には両側に洛東用水路と東山用水路の二大幹線水路のほかに中央部の「第三水路」が存在しており、この水源な疏水から直接引水してなく、疏水の水と混流した旧安祥寺川から引水している。

この第三水路について武内氏の資料を参照すると、来栖野に在住されていた杉村政二氏の小冊子「わがふるさと 来栖野の歴史」の年譜に第三水路が明治記載371904)年に完成したとの記載がある。この第三水路の延長線上に福田金属に向かって水路が延びている。福田金属のホームページによると明治411908)年に山科工場を開設し、山科工場で水車による真鍮粉工場を生産開始してと記載されているので水車動力法を採用の話しとつながる。私は報告書(その1)にも示したように、今年の83日に福田金属箔粉工業KKを見学したが訪問途中で体調をくずし、集合時間に遅れて施設の見学もできなかったので、機会があればもう一度見学したい会社である。


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