続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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A-04-47「京都インクライン物語」の作者「田村喜子」氏の訃報

     琵琶湖疏水の散歩道・第493報(2012-10-19)     KANKANBOW

 

1)まえがき

「京都インクライン物語」の作品で昭和571982)年に第一回土木学会著作賞を受賞された田村喜子氏が、今年の324日に79歳で死去されたことを伝え聞いた。この作品は、琵琶湖疏水の歴史愛好者にとってバイブル的な存在で、私も初期の段階からお世話になったが、私よりも若い方であったことを初めて知った。近く84歳を迎える私の周辺には訃報が相次ぐこの頃であるが、数少ない思い出の幾つかを墓前に捧げる気持ちで纏めたのが本報である。

 

2)田村喜子さんと面談した思い出

 私が約50年間のサラリーマン生活を終えて、退職後の楽しみとして「琵琶湖疏水の散索」をテーマに選んだのが平成122000)年であるが、まだ歩いて調べる元気が残っていたので毎日周辺の散策を実施し、平成152003)年に整理の目的で「琵琶湖疏水の散歩道」という冊子を500部自費出版した。そのとき、最初に読ませていただいたのが図書館で借用した「京都インクライン物語」である。その翌年に作者が京都に来られ、講演会を開催されることを知り、出席させていただいた。

平成162004)年524日の京都精華大学の講堂で「琵琶湖疏水の過去・現在・未来」と題した田村さんの講演があり、大勢の出席者であったが、休憩時間に挨拶を希望する行列に並んで短い面談をさせていただき、完成したばかりの私の冊子「琵琶湖疏水の散歩道」を手渡した。

当時の私にとって田村喜子氏は疏水分野の大先輩であり、握手することも差し控えた先輩であったが、大きい満足感を得たことを今でも鮮明に記憶している。

田村喜子さんは関東地区に在住で、お目にかかったのは最初で最後となったが、多くの資料に紹介されている略歴の一部を私の文責で紹介すると、

田村さんは昭和071995)年1025日に京都で生まれ、京都府立大学卒業後「都新聞社報道部記者を経て文筆活動に入り、下表に示すように土木分野をテーマにして多くの作品を発表されている。代表的な作品の一部を引用紹介すると、

   昭和571982)年・・・京都インクライン物語

   昭和591984)年・・・京都フランス物語

   昭和611986)年・・・北海道浪漫鉄道

   平成021990)年・・・物語 分水路 信濃川に挑んだ人々

   平成021990)年・・・疏水誕生

   平成041992)年・・・関門トンネル物語                 

   平成142002)年・・・土木のこころ

   平成162004)年・・・野洲川物語

   平成212009)年・・・小樽運河ものがたり

   平成222010)年・・・余部鉄橋物語

 

 この中での3件は琵琶湖疏水の建設を推進した北垣国道と田邉朔郎が推進したプロジェクトを題材としたもので、その後に取り上げた主題の舞台は全国に広がっている。田村作品の特徴は、その内容が土木の世界の立場から広く評価されており、とくにトンネルや運河の建設にかかわる技術表現は、専門家の域に入っていると評価されている。

 今回紹介した田村素子氏の講演会は、NPO法人「遊悠舎京すずめ」が主催されたもので、虫プロ制作の映画「明日を作った男」の上映とセットで実施された。

 

3)田邉朔郎の長男・田邉陽一氏が評価した「京都インクライン物語」

 平成152003)に琵琶湖疏水記念館を訪問して田邉朔郎一族の系統図を調査したときにいただいた資料によると、明治時代を代表する有名人が登場する華麗な一族であるが、これによると、田邉朔郎に3人の孫息子(陽一・康雄・謙三)が存在する。私の「琵琶湖疏水の散歩道」発刊の新聞記事を読んだので見せてほしいという電話が陽一氏から掛かり、平成172005)年717日に指定された岡崎の国際交流会館で初めて面談した。

 陽一氏によると、最近発刊される琵琶湖疏水関連冊子の内容に事実と異なる記述が多いので、作者に直接会って指摘するのが私が背負った義務であるということで、冊子を手渡して長時間にわたり尋問形式で質問を受けた。その意気込みは大変なもので、既刊の冊子の問題点の説明から始まり、私が保有する最近の新しい情報の提供を要請された。

 その時、陽一氏が合格点を挙げられる冊子は「京都インクライン物語」だけであり、新聞記者育ちの田村喜子さんが毎日のように田邉家を訪問し、保有するすべての資料を徹底的に調査した姿を自宅で体験しているので、この本の内容はすべて事実であると強調され、他の複数の著作の間違いを具体的に指摘された。

 この言葉を聞いたあとも「京都インクライン物語」を何回も読み返し、その内容の深さを感じているが、平成061994)年に中央公論社から文庫本サイズの本が発行されたので、小旅行をするときには必ずポケットか肩掛けカバンに入れて読み返す愛読書の一つになっている。後日陽一氏から数回電話をいただいて追加資料の提示要求を受けており、その熱心さを忘れることはできない。

 

 平成1520033月に第3回世界水フオーラムが大阪・京都・大津の3会場で開催され、多くのイベントが開催された。私も京都会場を中心に多くのイベントに参加したが、32123日に「みやこめっせ」で「明日をつくった男~田邉朔郎と琵琶湖疏水」と題した映画を見学した。これは「虫プロダクション」が制作した映画で、原作・田村喜子著「京都インクライン物語」(山海堂編)の完成記念披露上映会で、アニメ型の70分の上映時間であったが、そのご、多くのイベントでも上映され、私も4~5回見学する機会に恵まれているので、ストーリーも正確に覚えている。また、私の琵琶湖疏水の知識の深まりと共に何時見ても新鮮であり、機会があればもう一度見学したい映画である。

 

 

          本資料の田村喜子関連の年次記録(文責筆者)

 

昭和071930)年1025日 京都に生まれる

昭和301955)年03月   京都府立大学卒、都新聞記者を経て文筆活動に入る

昭和531978)年07月   海底の機(文化出版局)発行

昭和571982)年09月   京都インクライン物語(新潮社)発行

昭和581983)年     第1回土木学会著作賞を受賞

昭和591984)年06月   京都フランス物語(新潮社)発行

昭和611986)年10月   北海道浪漫鉄道(新潮社)発行

昭和631988)年09月   五条坂陶芸のまち今昔(新潮社)発行

平成021990)年03月   疏水誕生 藤原みてい絵(京都新聞社)発行

平成021990)年06月   剛毅木訥鉄道技師・藤井松太郎の生涯(毎日新聞社)

平成021990)年10月   物語分水路・信濃川に挑んだ人々(鹿島出版会)発行

平成041992)年08月   関門トンネル物語(毎日新聞社)発行

平成142002)年05月   土木のこころ(山海堂)発行

平成152003)年     「明日をつくったおとこ」 第21回映画コンクール最優秀賞を受賞

平成222010)年07月   余部鉄橋物語(新潮社)発行

               余部橋りょう さらなる100年、第24回映画コンクール 最優秀 賞を受賞

平成242012)年0324日 直腸がんのためご逝去


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A-04-46 「山科の100万年(氷河期~現在)記事」の細部紹介

      琵琶湖疏水の散歩道・第492報(2012-09-05)   KANKANBOW

 

1)まえがき

 山科の市民団体「やましなを語りつぐ会」の土山年雄代表のまとめた巨大図表が、山科図書館の創立60周年の記念行事の一つとして、図書館2F81日から9月末の2ヶ月間展示されている。私も同会に所属しており、この巨大図表の背景に膨大な資料があり、とくに琵琶湖疏水が山科地区の明治以降の近代化に大きく貢献したかを絵図で見事にとりまとめた土山代表の努力に感銘を受けた一人である。

 琵琶湖疏水の地域産業に貢献した記述は、疏水のバイブルと評価されている「琵琶湖疏水の100年」誌をみると北白川地区と伏見地区の解説が中心であり、山科地区に関する記述に乏しいが、最近の十年間をみると、山科地区の歴史研究愛好者による区内発表資料のレベルも向上している。しかし、山科地区の資料がネット検索に登場する機会が少ない。

 私も山科在住年数がやっと十数年の若輩であるが、私のホームページとブログ「琵琶湖疏水の散歩道」のアクセス累計数も併せて10万件を大きく越える状況に達しており、滋賀・京都と巾広い閲覧者が存在するので、今回のイベントの詳しい内容を紹介することにした。琵琶湖疏水に興味ある人で、山科図書館で見学出来ない人のため、土山さんの了解を得てまとめさせていただいた。

 

2)京都新聞と山科新聞に紹介された記事

    京都新聞平成24(2012)82日に掲載された紹介記事

                 

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山科新聞平成242012)819144号に掲載された紹介記事

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3)琵琶湖疏水が山科の近代化に大きく貢献したことの説明

 今回展示の巨大展示物の最大の目玉は、中央にあるカラフルな2枚の山科地形図である。

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 琵琶湖疏水完成前の明治22(1889)年  琵琶湖疏水完成後の明治42(1909)

上記2枚の地形図の間に次に示す説明文がある。

                 

左の地図(明治22年)と右の地図(明治42年)を見くらべてください。茶畑(紅色)であった場所(明治22年)が、明治42年には田畑(薄緑)に変わっています。何故でしょうか? それは下記①,②の水路を経由して、それぞれの田畑に水が行き渡るようになったからです。

    疏水から水を引いて造った洛東用水路・東山用水路とさらに、その用水路から分岐した農業用水路。

    四ノ宮川等の河川に疏水の水を引き、川に堰を造ってできた用水路と、さらに、その用水路から分岐した農業用水路。

 現在も、これらの農業用水路は、地域により多少の変動はありますが、それぞれの土地改良区によって管理されています。

 

 山科盆地は、北東が高く、南西が低い扇状地になっています。その高低差は90mにも達しています。しかも盆地南部の勧修・小野・醍醐地区は幅がせまく、その中を山科川が流れています。このため、昭和30年代より山科川の治水工事が六地蔵から北へと始まり、昭和60年ころまで行われました。

 

こういった努力が実を結んで、現在では山科川沿岸が住宅街になっています。昔日の感がします。

 

 さらに、中央部の2枚の絵図の右側に、当時の北垣国道知事が琵琶湖疏水工事を推進した経緯が下記のように横書きに記載されています。

 

疏水はなぜ造られたのでしょうか?

 江戸時代より大津から京都への物資の輸送を円滑にしたいと多くの計画がありました。しかし、実現はしませんでした。大津から逢坂山を越え、京都へは日ノ岡峠を越えるという難所があったからです。

明治14年、着任した京都府知事・北垣国道は、舟運や灌漑用水のほか産業動力として使おうと打ち出した計画を実行に移しました。その結果、明治18年から5年間で、疏水工事を完成させました。

 工事にかかった費用は、京都府予算の2倍を超えました。その費用の捻出には、大変な苦労がありました。

    京都市民(上京区・下京区)には、戸数割・地価割・営業別の賦課金となって市民の負担となりました。通常税のほかにです。

しかも戸数割は、低所得の借家人にもかけられ、延納・減額願いが相次ぎ反対運動も起りました

    北垣知事は、率先して府職員と共に、幾らかの金額を拠出寄付し、工事の必要性を説いて京都市民の協力を求めました。

 疏水工事が進むなか、責任者の田邉朔郎は、アメリカの水力発電所を視察し、新たに、疏水事業の目的のなかに、水力発電事業を加えました。

 明治41年から4年間で閑栖した第二疏水によって、さらに大きな成果が京都市民にもたらされました。東京遷都によって、さびれた京都が活力を取り戻したことはとても大きい。

    京都の町n電灯が灯されたほか、日本最初の電気鉄道が開業、交通網の発展に、また鴨川周辺の工場にも電力が供給され、産業の近代化を推進しました。

    上水道の普及によって、飲料水が確保できるようになりました。

疏水の開通によって、山科はどう変わってきたでしょうか?

    灌漑用水が確保され、農業問題の解決に役立ちました。

    物資の輸送ルートであった東海道が、疏水の舟運に変わりました。それによって、馬車が次第に少なくなったため、馬が休憩する「馬場」の消えて行きました。安朱東馬場、安朱西馬場、護国寺馬場、安祥寺馬場のうち、護国寺馬場は、護国寺の境内に道が通り、

大正年間に入ると山科京極商店街へと大きく発展しました。

    四ノ宮川の水量が増えたことを利用して、明治33年には竹鼻で、水車を使った織物工場が誕生しました。

 さらに明治24年、蹴上に発電所が建設されたことによって、飛躍的な発展が京都市だけでなく、山科にも及びました。

    京津電車(今の京阪京津線)が開通し、交通の便がよくなりました。

    発電所ができたため、一般家庭にも電灯が灯るようになりました。

    上水道が普及し、飲料水が飲めるようになりました。

    水車を利用していた工場も電気が使えるようになりました。また、工場が次第に増えて経済の発展につながりました。

 

4)「山科100万年(氷河期~現代)の営み」年表

 山科100万年を、氷河期(約90~60年前にかけて)、後期旧石器時代(約2万年前~)、縄文時代(約1万2千年前~)、弥生時代(約2,300年前~)、古墳時代(約1700年前~)、飛鳥時代(約1420年前~)、奈良時代(約1300年前~)、平安時代(約1220年前~)、鎌倉時代(約830年前~)、南北朝・室町・戦国時代(約680年前~)、安土桃山時代(約440年前~)、江戸時代(約410年前~)、明治年間(144年前~)、大正年間(100年前から)、昭和年間(86年前~)、平成年間(23年前~)に分別して8枚にまとめられた年表(展示記事で、土山氏が20120801に作成されたもの)を山科図書館で入手したので、これを末尾に添付した。

 山科の歴史に興味のある人で実物を見学する機会の無かった人にとって、きわめて便利な年表である、この報告は、ネット検索で読めるよう、マイナーな写真を除いてほぼすべての記述を引用させていただいた。10月以降に公開する予定である

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