続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
B-04-33 岡崎の白川沿いにある「竹中庵」の見学記
       琵琶湖疏水の散歩道・第484話(2011-04-16)  KANKANBOW記
 
1)京町屋「竹中庵」の場所の紹介
 「京町屋なんでも応援団(事務局・上京区)」主催で、岡崎円勝寺町の白川沿いにある無住町屋「竹中庵」にて、岡崎の景観と歴史を考える「花見プロジェクト」が4月上旬に開催されるという京都新聞記事を見付けたので、参加見学させていただいた。
 岡崎白川べりにある「竹中庵」の名は初めて聞く名前であったし、住所名を頼りに探してみたら、いつも歩いている道に沿って存在していたので驚いた。
 その場所を少し詳しく紹介すると、“北白川地区から動物園敷地地下を経由して南下した「白川」の流れは、インクライン下の南禅寺舟溜りで「琵琶湖疏水」の流れと合流して鴨東運河を西進し、平安神宮赤鳥居前にある朱塗りの慶流橋をくぐったすぐ西の地点(京都国立近代美術館敷地の南面)で、「白川」の水は「疏水」の流れと分流して再び「白川」単独の流れとなって南下する。
 この分岐点に仁王門橋があり、新しい白川の流れに沿って幅1m以下の東側歩道と幅2mくらいの西側歩道があるが、西側道を200m弱南下したところに白川に面して「竹中庵」が存在する。
 私は岡崎地区を訪問するとき、地下鉄「東山駅」の①番出口を左折し、最初の道を左折して白川の流れに沿って北上するが、いつも「竹中庵」の前を通過している。通常住宅の塀に小さい表札があるのみで気が付かないまま現在に至ってきた。
 
2)見学時に説明していただいた要旨
(1)1階会場に展示された時代別地図パネル
説明によると、竹中庵の前の通りは幅2mあまりの小道で、建物の再建築をする場合には車が通過できるように道路の幅を広げることが法律で義務付けられている。この白川沿いの景観を守るために、現在無住のまま維持している竹中庵の所有者とともに、「京町屋なんでも応援団」は、地域の歴史や魅力をパネル展示で説明し、この景観を保持したいためにプロジェクトを立ち上げたと説明していただいた。
 岡崎地区は、第3回万国勧業博覧会の会場に隣接し、平成22(2010)年に京都商工会議所から発行された「琵琶湖疏水と京都の産業・企業(京都ベンチャーを生んだその流れ)」に記載のように、水車動力を求めて周辺には多くの工場が集まった地域である。そこに「竹中庵」の記載はなかったが、今回の説明では、ここに径10mある大型水車が存在し、「水車の竹中」と呼ばれた精麦工場があったと説明を受けた。(精麦とは“オオムギの殻粒の外皮部を除去して炊飯食に適する白色の丸麦を搗精する作業”を言う)
その歴史を示す時代別パネル(4枚)が会場1階に展示され概要の説明を受けた。
(2)2階会場から眺めた美しい桜風景
 竹中庵の2階の窓から外を眺めると、大型マンションの外塀と白川の間に植えられた満開の桜並木が見える。
 
      2階の窓から見た桜並木                               道路沿いから見た桜並木
 
 説明によると、30年ほど前に背景にある巨大マンションが建設されたとき、竹中庵の家主が景観面の配慮から植えてもらった桜である。また、約2m幅の道には安全柵はないが、車道でないので、不安はない。今では名物といえる風景を形成している。
 
(3)直径10mという岡崎最大級の水車跡が存在する
 門の左側に広場があり、その西側に細い水路が存在する。説明によると、そこに精麦工場の動力用大型水車(直径10m規模)が存在していた。最近まで塀があって見えなかったので、公開されるのは今回が初めてのようであるが、説明者にHPで紹介することの了解を得たので下記に若干の考察を含めてまとめた。
   
    水車の存在した場所(中央部)                          水路跡の石垣側面写真
 
 説明者に琵琶湖疏水との関連について質問したが、細部については聞きもらした。「琵琶湖疏水の100年誌」に、当時の水車動力とその利用者の詳細が記載去れているが、精麦工場や竹中家の記載はなく、前述の京都商工会議所の本にも記載がない。当時の和水車の規模からみると、直径10mの水車といえば最大級となるが、水車の全般解説書にも登場していない。また、この水路の水源についても、疏水工事で岡崎地区南部の白川の期待される水位差は疏水工事前より減少している可能性も考えられる。
 若干乱暴な推定であるが、精麦工場は疏水工事前から存在しており、白川を水源としていたが、疏水工事により水位差が減少し、閉鎖の一つの原因になった?と推定したくなる。
 私の夢の一つとして、この場所に直径10m規模の木造水車が再現展示できれば、岡崎地区に多い産業遺産の一つとして追加できると考えた。竹中の精麦工場や竹中の水車について追加または修正情報があれば知らせてほしい。
 
スポンサーサイト
  F-03-13「重要文化的景観」候補として岡崎地区を
       琵琶湖疏水の散歩道・第483話(2012-04-08)  KANKANBOW記
 
1)文化財「重要文化的景観」の要旨
 従来、文化財は「有形文化財」、「無形文化財」、「民族文化財」、「記念物」、「伝統的建造物群」に分類されていたが、平成07(1995)年にユネスコが世界遺産の選定に「文化的景観」の概念にもとづく判断を導入してから国内でも検討が進められ、平成16(2004)年に文化財保護法が改定され、文化財の領域に「文化的景観」が追加された。文化庁は180ヶ所の地域候補を選定し、とくに重要なものを「重要文化的景観」として認定し、経費の補助や固定資産税の半減などの優遇措置を与えることとした。
 
 選定基準として次の2項を示している。
    地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された次に掲げる景観地として、水田/畑地などの農耕・茅野/牧野などの採草/放牧・森林の利用・養殖いかだなど漁ろう・ため池/水路/港などに水利用・鉱山/採石/場/工場群などの採掘/製造・道/広場などの流通往来・垣根/屋敷林などの居住・・・に関する景観地
    前項各号に掲げるものが複合した景観地のうち我が国民の基盤的な生活又は生業の特色を示すもので典型的なもの又は独特なもの
 
京都新聞(2007-06-28)記載の文化財分類記事を下記に引用したが、「重要文化的景観」は格付けから見るとハイクラスに位置付けられている。
     
全国で初めての第一号は、平成18(2006)年1月に選定された滋賀県の「近江八幡の水郷」で、当時の新聞は大きく取り上げたが、今年の3月時点での全国における「重要文化的景観」の認定数は30件で、近畿地方では下記5件が選定されている。
    滋賀県近江八幡の水郷                2006-01-26
    滋賀県高島市海津・西浜・地内の水辺景観    2008-03-28
    京都府宇治の文化的景観              2009-02-12
    滋賀県高島市針江・霜降の水辺景観       2010-08-05
    奈良県明日香村の奥飛鳥の文化的景観     2011-09-21
 
2)「京都岡崎の文化的景観」のパネル展見学
 京都市でも、琵琶湖疏水の開削によって形成された岡崎地区の「重要文化的景観」選定を目指した調査検討事業を、学識経験者で構成する「京都岡崎の文化的景観調査検討委員会を設けて、平成22~25年度にかけて取り組んでいる。
 今年の3月に岡崎の細見美術館3Fにある茶室「古香庵」の東側で京都市文化財保護課主催の「京都岡崎の文化的景観」パネル展が開催され、見学させていただいた。
                    F-03-13_convert_20120413081634.jpg

 京都市が奈良文化財研究所の協力で進めてきた「岡崎地域の文化的景観」の歴史調査結果をパネル展として発表したもので、パネルに記載された写真や説明をすべて1冊にまとめた冊子もいただいた。
 いただいた資料には、岡崎周辺の平安院政期・江戸初期・江戸幕末期・明治初期・大正期・現在の6枚のカラー地図や京都盆地の地質図・岡崎の水系とアカマツ、クロマツの分布図で白川からの白砂と組み合わせて“白砂青松”と名付けた工夫が面白かった。また、大正08(1919)年に描かれた仁王門~二条間の疏水道のスケッチ絵図があったが、十数本の柳の大樹があり、舟運で運ばれた米・炭・煉瓦の荷揚げされた浜としての場面を想像させてくれた。
 また、“京都市が疏水建設用地として買収した岡崎・疏水本線の未利用地は、「疏水東濱町」、「疏水中浜町」、「疏水西濱町」として町立され、商工業の発展を見込まれた民間に払い下げられたが、舟運・水車動力・水力発電・工業用水・庭園用水などの多目的な疏水利用によって、多彩な文化と産業が水辺に溢れ出した。”という説明文もわかりやすかった。
 小さなパネル展であったが、3人の説明者が交互に解説してくれ、有意義なパネル展であった。また、岡崎地区の存在する文化財の規模と景観のユニークさからみて、「重要文化的景観」の認定の可能性はかなり高いと期待している。
3)京都府の「文化的景観」活動について
 京都府は全国の都道府県に先がけて、平成17(2005)年07月に「文化的景観検討委員会」
を設置して毎月1回の5回の打ち合わせを実施し、候補の選定と当面の具体策の検討をまとめている。(70ヶ所の府内候補地のリストアップを実施)
 そして、平成19(2007)年04月に選定基準をまとめ、現在までに下記8件の京都府認定を実施している。
    京丹後市久美浜湾カキの養殖景観・・・・・・平成20(2008)年3月
    福知山市毛原の棚田景観・・・・・・・・・・・・・平成20(2008)年3月
    和束町の宇治茶の茶畑景観・・・・・・・・・・・平成20(2008)年3月
    井戸町大正池とその水源かん養林景観・・・平成21(2009)年3月
    綾部市グンゼの近代製糸産業景観・・・・・・・平成21(2009)年3月
    向日市西ノ丘の竹の径、竹林景観・・・・・・・平成22(2011)年3月
    宮津市上世屋の山村と里山景観・・・・・・・・平成22(2010)年3月
    福知山市大原の産屋の里の景観・・・・・・・・平成23(2011)年3月
このような努力の蓄積が、今後の「重要文化的景観」の選定に役立つことが期待される。

B-08-15 車石・車道関連調査-3(歴史的背景からの考察)
        琵琶湖疏水の散歩道・第482話(2012-03-31)   KANKANBOW記
 
1)まえがき
 大津歴博で開催された車石関連企画展でボランティアガイドを務めたとき時代背景に関するいくつかの質問を受けたが、私の知識と記憶力の浅さから明確な返答ができず、他の内外土木事業との歴史的背景について整理する必要を感じた。私は所属する「近代京都の礎を観る会」の例会で紹介した「蒸気駆動鉄道の歴史の歴史と琵琶湖疏水完成時期の関係」と題した一枚のメモに、車石・車道研究会を通じて教えていただいた情報を追記したものを急いで作成し、個人メモとして対応した。そのご、若干補強した資料メモ(末尾に添付)を最近開催の「やましなを語りつぐ会」例会で紹介したが、企画展出席者も居たので話題の一つとなった。
 私は、平成17(2005年開催の「車石敷設200年記念シンポジウム」で初めて車石の詳細に接し、趣味を越えた学究的情報に感激したが、翌年に発刊された塩野七生氏の「すべての道はローマに通ず」(新潮文庫)を読んで、ローマ人が紀元前に敷石舗装の8万kmの幹線道路(車道・歩道を分別)を支配下の各国に完成させていた事実を知り、車の轍跡の写真を見て海外の歴史の深さに接した。
 今回は、日本における車石敷設の導入時期を、当時の内外の土木建築技術や大型土木事業と対比してまとめてみた。多岐にわたるメモの整理や調査の不十分な段階であるが、修正を要する点を順次整理して補正充実していきたい。
 
2)車石敷設に関連した時代背景
(1)角倉了以の保津峡開削時期との比較
 車石・車道研究会が平成17(2005)年に開催したシンポジウムは、東海道(三条街道)車石敷設200年記念行事であり、車石の知識が乏しかった私は、翌年の平成18(2006)年に開催された各種の「保津峡開削400周年記念行事」に参加したとき、車石敷設は保津峡開削よりかなり後との印象を持っていた。しかし、そのごの車石研究会の細部報告が竹田街道へと幅が広がり、今回の企画展で両者の時期の差があまりないことを教えていただいた。竹田街道に車石を敷設した時期を明確に示す記録はまだ見つかっていないようであるが、わずか50年くらいの差しかないことが判明し、先人の知恵を再認識することができた。
 
2)欧州・中近東地区で発展した土木技術
 世界の土木建設技術の発展史を読むと、紀元前8000年ころにヨルダンで日干しレンガの円形住宅が建設され、紀元前4400年ころに中国で道路の舗装や建物の基礎に焼成レンガが使用されている。古代エジプト・ギリシャ・ローマ時代では火山灰・石灰などのモルタルを用いた気硬性セメントが用いられた。
紀元前3500年ころにイラク南部のシュメール人が車輪を発明し、紀元前1500年ころにトルコのヒッタイト帝国では鉄器文化を育て、史上最初の舗装道路が登場している。このようにみると、昔の画期的技術として有名な「箱根用水」の完成した時期に、すでに日本で「車石を用いた車道」が整備されていたことを再認識させていただいた。
 
3)蒸気動力による蒸気動機関の導入が欧米より遅れた日本
 イギリスで産業革命の基礎を築いた蒸気駆動動力の技術は、欧米で広く採用され、主要各国は運河時代から鉄道時代に進んだが、日本は英国での発明から約50年遅れて新橋~横浜間の鉄道を実現している。この遅れが明治初期の土木事業の推進に大きい影響を及ぼしたことは事実であるが、世界に追い付く努力は評価すべきと思う。
 京都の町の発展とともに、地方からの貨物の京都市内への輸送路の様式も変化し、瀬戸内・淀川経由で京都伏見に集められた貨物の人力輸送や牛車輸送は、高瀬川の舟運と入れ替り、高瀬川の舟運は新設された鴨川運河の輸送に影響を受けて消え、鉄道や自動車輸送の影響で、鴨川運河も利用されなくなった。添付資料にはその経緯を年表で紹介している。
 一番残念なのは、車石を敷いた車道の本物が実物として残っていないことである。すべての要素を入れた車道の大型模型を再現し、どこかの展示場に車石車道を牛車が電動式に動く姿を常設展示してPRに努めたい。今回の企画展をその初期役割を果たしたと大きく評価したい。
 
(4)琵琶湖疏水に関する事項
 添付資料に示したように、琵琶湖疏水の完成は、東海道本線(東京~大阪)が完成した翌年であり、鉄道輸送との競合で苦しいスタートとなったが、道路の改修も徐々に進行し、1920(大正中期)ころから貨物自動車との競争もきびしくなり、終戦後まもなく船による輸送路としての役割は終わった。
 そのごも観光船の通路としての活躍を目指した計画が相次いだが、採算面から実現は難しいようである。現在では鴨川以東の名所を縦横につなぐ散策路や運動を目的としたハイキングコースとして広く利用されるようになった。また産業遺産の道として歴史を勉強して楽しむコースとしても注目されてきた。
 
以上中途半端な報告となったが、「車石・車道」の課題は愛好家のグループで評価が固まった段階になったと感じている。これを一般市民に定着させるには、知名度の高い他の課題との組み合わせ効果をねらう必要がある。その一助になれば幸いである。
 
 
添付資料
 
 蒸気駆動鉄道の歴史と「車石」、「琵琶湖疏水」との完成時期の関係(メモ)  
 
1606年 京都の豪商・角倉了以・素庵が江戸幕府に建議し、保津峡の開削を僅か半年で完工
1611年 角倉了以・素庵は京都と大阪を結ぶ10kmの運河「高瀬川」を着工、3年後に完成
1651年 日本の箱根用水が完成、竪抗技術で空気孔をつくる(日本の高度な伝統技術を採用)
1654年 竹田街道に江戸時代前期に牛車用の車石道が設置されていたという絵図が残っている
1681年 フランスのミディ運河(240km)が完成(平成08年に世界遺産)
1706年 東海道の蹴上附近に牛車用車道が部分的に設置されていたという記録あり
1710年 江戸時代の中ごろ、高瀬川の高瀬舟の数が188艘になったとの記録がある
1736年 東海道(大津~京都間)に部分的に設置された牛車用車道の改修工事が実施されている
1776年 イギリスのワットが蒸気動力による蒸気動機関を発明(明治元年の約60年前)
1776年 イギリスで産業革命がスタートする(竹田街道の牛車/車道は、120年前ころに完成)
1776年 アメリカ独立宣言の年
1804年 東海道筋の街道整備が本格的に実施され、車石の敷設が開始される
    当時ヨーロッパでは道路に木製レールを敷き、車をレールにのせる方法がとられた
1825年イギリスで世界初の商業用蒸気駆動鉄道が開業(運河輸送と交代開始、日本は50年後)
1827年アメリカで商業用蒸気駆動鉄道が開業(日本より45年先行する)
1830年「ねじりまんぽ」技術を用いたトンネルが英国で建造 日本最古は明治07(1874)年鉄道
1832年 フランスで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1832年 カナダのリドー運河(202km)が完成(平成17年に世界遺産)
1835年 ドイツで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1853年 インドで商業用蒸気駆動鉄道が開業
1854年 アメリカのペリーが来日時に、4分の1規模の蒸気機関車を土産に持参、試験運転
1857年 長崎の製鉄所建設用に日本で初めて赤レンガが焼かれる
1863年 イギリス・ロンドンで地下鉄が開業
1864年 保津川の嵯峨から下鳥羽の鴨川を結ぶ西高瀬川を開削
1865年 東海道の車道の逢坂峠の掘り下げ、日ノ岡峠迂回路の新設工事が開始される
1866 年 ノーベルがダイナマイトを発明
1867年 北海道の茅沼炭鉱で、木製レールに車をのせて牛が引いて運ぶ方式があった
1868(明治元)) 明治新政府発足
1869(明治02)年  アメリカで北米大陸横断鉄道が開業、スエズ運河も開通
1870(明治03)年 工部省鉄道掛が堺に阪神間鉄道用レンガ製造所を設置
1871(明治04)年 日本で人力車が発明され、東京・京都で営業開始
1871(明治04)年 日本の遣米欧使節団が出発、1873(明治06)年に帰国
1872(明治05)年 新橋~横浜の鉄道が、日本で初めて開通(世界初のイギリスより47年遅れて)
1873(明治07)年 日ノ岡峠切り下で車石の一部撤去、翌年全面撤去し、マカダム式道路に改造 
1874(明治08年 東京深川の旧陸軍施設で、ポルトランドセメントの国産化に成功
1879(明治12)年 ダイナマイトが日本に初輸入、明治15年に三池鉱山で初使用
1880(明治13)年 逢坂山トンネル(655m)開通、京都~大津間の鉄道が開通
1881(明治14)年 小野田セメントの前身の会社が発足 
1882(明治15)年 安積疏水完成(オランダ人技師指導)
1884(明治17)年 柳ヶ瀬トンネル完成(1330m)完成、ダイナマイトがトンネルに初使用
1885(明治18年 那須疏水完成(南洋一郎技師指導)
1885(明治18)年 琵琶湖疏水の工事スタート(水脈との遭遇のため第一竪抗工事で難航)
1889(明治22)年 東海道本線の東京~大阪間が開通                
1890(明治23)  琵琶湖疏水完成(東海道線が開通した翌年完成)
1890(明治23)年 京都大津間に乗合馬車が開通
1894(明治27)年 鴨川運河(琵琶湖疏水系)が完成する
1903(明治36)年 京都・広島・大阪で蒸気駆動乗合自動車が営業を開始する
1903(明治36)年 第5回内国勧業博(大阪)で、外国の各種自動車が出品される
1912(明治45)年  京津電車・三条~大津札の辻間が開通
1920(大正09)年 高瀬川の高瀬舟が廃止され姿を消す
1930(昭和05)年 新高瀬川が開通
1935(昭和10)年 鴨川運河の運輸は「し尿船」のみとなる
1936(昭和11)年 疏水運河経由京都から大津に向かう貨物がゼロとなる
1943(昭和18)年 鴨川運河の伏見インクラインが運航休止、昭和41年に施設の一部撤去 
1951(昭和26) 最後の疏水船(大津~山科)が土砂運搬を実施
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。