続・そすいのさんぽみち

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B-02-56 山科疏水に架かる「大岩橋」建設の経緯について

      琵琶湖疏水の散歩道・第479話(2012-02-28)   KANKANBOW

 

1)代表的な三角橋・大岩橋の現状

 一般に運河(疏水)を新設する場合、既存する道路と交差するところに橋が架けられるが、舟を運航する場合は、舟の高さまで橋または両側の道路を持ち上げて設置する必要がある。

 橋を持ち上げる場合、流路に架かる橋の両端に階段をつけるため斜面は三角形の姿になる。道路を持ち上げる場合も流れの内側からみると三角形の石積み部が存在する。私達はこの形態の橋を「三角橋」と名付けて楽しんでいる。

 琵琶湖疏水系で舟が運航されたのは、疏水本線(大津運河→山科疏水→鴨東運河)と鴨川運河である。鴨川運河は平地に建設されたので三角橋もほぼ同じスタイル(標準型)であるが、山科疏水系は、平地と山の斜面を交互に通過しているので、三角橋のスタイルも変化に富んでいる。

 この中で、大岩橋(別名第9号橋)は典型的な石積みで造られており、橋柱には大正13(1924)12月建立と刻まれている。また利用度が少ないために約90年間橋の構造変化はなく、昔の優雅な姿をそのまま残して存在している。

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       北側の内側に見える三角形石積み部(20102月)      大岩橋の南側三角形石積み部{20102月)

 

私はこの橋を第7号、8号橋と同様、京都市所管の橋と推定してきたが、近隣住人からの情報で当初は個人住宅に渡る私有橋として建設されたことを知った。入手した大岩橋の新関連情報を含めてまとめたのが本報である。

 

2)大岩橋の建設経緯

 大岩橋を渡った北側正面に個人住宅が存在する。門扉から奥の玄関までの幅広い通路に秋になると朱色の紅葉が敷き詰められる素敵な邸宅である。最初の住人は大学教授(京大?)で、この地に外国人(ドイツ人?)設計の住宅を大正13(1924)年に建設したとき、門前

                 B-02-56-1

に流れる疏水を越える大岩橋も同時に私費で建てたが、その後玄関前の水道局管理地と大岩橋の所有権を交換して、現在は水道局の所管に変わったと伝えられる。(琵琶湖疏水記念館でも類似情報を確認すみ)

 その後大東俊一氏(後述)の伯父が同郷(岡山)出身であった最初の住人からこの邸宅を譲り受けて別荘として活用してきたが、昭和25(1950)年頃から大東俊一氏が伯父の住宅を借用して京都市から移り住み、伯父が死去したので、その遺族から住宅を譲り受けたのが最近までの経緯であると聞いている。

 

第3の所有者となった大東俊一氏の略歴を京大広報・No549(2009-09)から引用すると、

 昭和13(1938)年 京都大学工学部機械工学科卒(旧制第六高校出身)

               卒業後京大機械工学科の講師、助教授を経て大阪市大教授、岡山大教

               授を歴任

 昭和37(1962)年 京都大学工学部教授

 昭和54(1979)年 退官し、5411月から5804月まで摂南大学教授、6105月ま 

         で()日本自動車研究所長を歴任

 平成元(1989)年 勲二等瑞宝章を受章(自動車内燃機関分野の権威として知られている)

 平成12(2000)年 06月に逝去(84歳)

 

 俊一氏は、逝去年月から推定すると大正06(1916)年頃の生れで、平成元年に発行された京大卒業者名簿の住所は、御陵大岩になっているので、おそらく仕事を離れてから逝去されるまでの約10年間は疏水散策を充分に楽しまれたと推定される。

 大岩橋は、黒岩橋(10号橋)と正嫡橋(疏水上を斜めに架かる本圀寺の参道赤橋)の中間部に位置し、水路の北側は緩やかな山林の斜面がつながっており、そこに大東家の敷地が存在したが、昨年(2011)の後半に第4番目の所有者に売却されている。

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      外門から玄関に至る紅葉の道(20121月)       外門の南にある大岩橋の橋柱(20121月)

 

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3)大岩地区の山科疏水の景観

 山科疏水は藤尾~四宮~安朱~安祥寺~大岩と流れているが、北側の山裾は大部分が住宅・寺院・学校などで専有されている。天智天皇陵対岸の第7号橋を越えるあたりから永興寺まで山裾の北側散歩道は幅が広くなり、落葉を踏み分けて雑木林をブラブラできる場

所となっている。この絶好の場所周辺に住居を求めた文化人も多く、京大教授の大東俊一氏のほかに第10号橋(黒岩橋)の南側には、京都工繊大の前身である京都高等工芸学校の校長で、新臈纈染め手法を完成させた鶴巻鶴一氏の住宅が現存しており、第9号橋の南側には立命館大学経済学部教授で税法の権威であった加藤睦夫氏の住宅があり、夫人の加藤玲子氏は随筆家で、「疏水のほとりから」と題した本を2冊発行されている。

 

先日、大津市で「水辺の保全と琵琶湖の未来可能性」と題したシンポジウムに参加したとき、湖水と陸地との境界にある水辺が湖岸開発のため遮断・破壊され、古来種の魚の産卵場所が大きく減少したことが論じられた。また各地で山の斜面に展開していた里山風景が乱開発で破壊されていくのも寂しい限りである。

今回大岩橋の歴史の新情報を提供していただいた近隣に住む奥田さんは、御陵大岩地区の里山復元を目指して活動しておられ、今回依頼を受けて本圀寺講堂で実施した講演会「みんなの里山づくり講座(NPO法人・ビオトープネットワーク京都主催)」の幹事役としてお世話になった方で、講演会の席上で協力していただいた矢野さんにも感謝する次第である。

大岩橋の最初の所有者(建設した人)について、琵琶湖疏水記念館経由、疏水事務所でも調べてもらったが、より明確な記録は残っていなかった。さらに大岩橋に関する新しい追加情報があれば順次加筆修正していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 B-02-56-3(完)

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B-07-13 二層式河川に改造された「七瀬川」の話題

       琵琶湖疏水の散歩道・廼478話(2012-02-23)  KANKANBOW

 

1)七瀬川の紹介

 鴨川運河の南部地区では、地元の人は鴨川運河のことを「疏水」と呼称する。塩小路橋で地下水路から顔を出した鴨川運河は、京阪電車にほぼ並行して南下し、「とうふくじ駅」→「とばかいどう駅」→「ふしみいなり駅」→「ふかくさ駅」と進み、「ふじのもり駅」のところで名神高速道路の下をくぐり、大岩街道と七瀬川の上を通過して「すみそめ駅」に達する。

 京都市情報館(京都市建設局・河川整備課)の「七瀬川の概要」の記事を引用すると、“”“七瀬川は伏見区深草地内の大岩山を水源として東西に流れ、東高瀬川に合流している都市河川である。七瀬川の川筋に七橋(笹谷橋・谷口橋・谷口西橋・筆坂橋・直違橋・七瀬川橋・蓮心橋)が架けられ、また、大岩山の谷口から東高瀬川と合流するまでの間に七瀬があったことから名付けられたと紹介されている小川である。

 

「七瀬川の改修事業」

同上資料に記載された記事を引用すると、“七瀬川は河川幅の狭小さや暗渠部の存在等により治水安全度が各所で低く、浸水被害が度々発生したため、平成4年度から都市基盤河川改修事業として工事を進め、平成19年度に「二層式河川工事」が完成した”と記載されている。

 地方建設専門紙の会発行の地方ニュースによると、「河川事業七瀬川は、河道断面の拡大と遊水池の設置を行うもので、西側の950m区間(東高瀬川合流部~新門丈橋上流)では、上部はせせらぎ河川、下部は治水施設の二層式河川として施工するもので、全体事業費103億円という大型工事で、全国でも2例目の施設」と紹介されている。

 工事を担当した「田中測量設計事務所」や「㈱エイト日本技術」からも工事概要が報告されている。

 「㈱エイト日本技術」のホームページの作品集(下記アドレス)に改修前と改修後のイメージ絵図が紹介されているが、「平常寺の流量を施設入り口にある堰により、浄化施設を経由して上部河川に導き、洪水時は上流からの増水した河川水を地下にある下部河川に流れ込ませる構造になっている」と説明されている。

       http://www.ejec.ej-hds.co.jp/river.html

 

                 B-07-13-1(完)

G-02-42 講演会「“はやぶさ”が持ち帰ったもの」に出席

      琵琶湖疏水の散歩道・第477話(2012-02-19)  KANKANBOW記

 

1)まえがき

2月15日、山科アスニーで掲題の講演会(第591回)が開催され、出席させていただいた。私の個人事で恐縮だが、宇宙の中の天体については未知の世界で課題が多く、少年時代からの夢物語であり、次第に実態が解明されつつあるという実感を持っていたので、実験器具のような「はやぶさ」が20035月に宇宙を目指して飛び立ったときは、成功するという期待は全く無かった。ところが、昨年7年振りに帰還を果たしたという快挙を知り、今年の2月に京都大学総合博物館で帰還カプセル特別公開があったとき、緊急の所用で見学を果たせなかったことを残念に思っていた。今回の講演会の講師は大阪大学大学院教授・土山明教授で、私がお世話になっている「やましなを語りつぐ会」代表の土山年男さんの御子息ということを伺って出席したが、超満員の会場で時間を忘れて聴取させていただいた。講演が終わったときはある程度内容を理解したつもりであったが、帰ってからメモを纏めようとした結果、専門用語が多くほとんど正確に記憶しておらず、むしろほとんど理解していないことに気がついた。そこで、集めてあった新聞記事を読み直して、常識レベルの記載を整理してまとめたのが本報告である。短時間でまとめた内容の少ない報告となったが、間違った記述も多いと思うのでご容赦願いたい。

 

2)「はやぶさ」の出発から帰還までの概略ヒストリー

最初に新聞記事を参照して「はやぶさ計画(JAXA)」の概略を整理してみた。

    平成13(2001)05月:鹿児島県内之浦からM5ロケットで打上げ、はやぶさと命名

                      地球の重力を利用して軌道を変え、小惑星“いとかわ”に向かう

    平成15(2003)07月:姿勢制御装置3基のうち1基が故障

            09 20億キロの旅を経て“いとかわ”に接近

            10 姿勢制御装置がさらに1基故障

            11 いとかわ“に2回着陸、岩石採取用の金属発射装置は作動失敗

           世界で初めて小惑星に着陸した探査機と注目された

            12 帰路に燃料漏れが発生、交信が途絶え、行方不明となる

    平成18(2006) 01月 途絶えていた交信が奇跡的に復活、太陽光圧で姿勢制御

    平成19(2007)04月 いとかわ附近から地球に向けて出発

    平成21(2009)02月 壊れたイオンエンジン2基の回路をつないで1基として再出発

    平成22(2010)06月 軌道微調整で、60億キロの宇宙の長旅を終え、7年ぶりに13日オー  

           ストラリア 南部砂漠に帰還、試料カプセル回収

            11月 カプセル内から回収された約1500個が小惑星の石と確認

    平成23(2011)年 03 米テキサス州で開催の米学会で初期分析結果を発表、世界が称賛

                G-02-42-1

3)「はやぶさ」が達成した成果の意義

 今回回収された小惑星の石は、国内各大学や海外の研究者で作った分析チームに配られ、専門分野から検討が進められているが、講演していただいた土山教授の主担当は非破壊分析分野で、兵庫県佐田町の大型放射光施設「スプリング8」を用いた試料の三次元構造解明を担当された。

 土山教授の説明によると、現在地球上で回収された隕石も累計62000個あり、小惑星由来のものも多いが、どこから来たかが特定できない。今回の試料は天体名と採取場所まで特定されたものであることが重要である。また大きい惑星からの試料は重力が大きく中心が高温高圧なため変成しているので、太陽系ができた46億年前の姿を追求するためには、“いとかわ”のような小さな惑星の試料が必要となる。また地球上での汚染(大気・有機物など)の汚染がないことに意義がある。土山教授は、試料の分析は進行途上であるが、「今回の試料の分析で、太陽系史にわたる小天体の内部・表面活動史があきらかになる」と推定絵図を示して大きい期待を表明された。

 

4)サンプルリターン計画「はやぶさ2」への期待

 土山教授の資料によると今回目指した「いとかわ」はS型の小惑星で、成果として「隕石の起源の解明と小天体正面の活動」を挙げており、平成26(2014)年に挑戦予定の「はやぶさ2」では炭素の豊富なC型小惑星を目指し、「鉱物-水-有機物(地球-海-生命の原材料)の解明」に取り組む予定と説明し、土山教授の目が少年のように輝いた。

 

 私がとくに感銘を受けたことは

   わずか0.01mmほどの微粒子を薄くスライスして結晶構造を顕微鏡で観察したり、三次元構造を詳細に調べることが可能な分析技術のレベルであったこと

   “はやぶさ計画”のプロジエクトマネージャである川口淳一郎氏の言葉(京都新聞2010-09-24の現代の広場欄)を借りると“東京から2万km離れたブラジルの空を飛んでいる体長5mmの虫に弾丸を命中させるようなもの”と例えられるほどの正確な運転制御技術であったこと

   従来の常識を破り、ロケットのように燃料を使用せずに電気の力で進む「イオンエンジン」を採用し、太陽電池を背負った小型宇宙探査機の成功で、将来の宇宙開発の新しい道が大きく開けたこと

・・・など日本の最新技術と蓄積された匠の技術が証明され世界の発信されたことである。

 

57万個存在するといわれる小惑星の中の“いとかわ”の大きさは535×249×209mと小さな天体で、多くのことがわかってきたが、まだまだ序の口の段階である。“はやぶさ”の名前の由来は“小惑星で試料を採取してすぐに離陸する姿が、獲物を捕えて飛び去る鳥「隼(はやぶさ)」に似ていること”からと紹介されている。同時に天体名「いとかわ」も,日本のロケット開発の父「糸川英夫博士」名にちなんで命名されている。東大の糸川研究室には、会社時代に高温耐蝕材料の件で訪問したことをなつかしく思い出したことを付記する。

              G-02-42-2(完)

C-01-25 田邉朔郎が校閲した書籍「鉄筋コンクリート」

       琵琶湖疏水の散歩道・第476話(2012-02-10) KANKANBOW記

 

1)まえがき

 東京丸善株式会社から明治39(1906)7月に発行された「鐵筋コンクリート」という書籍があり、田邉朔郎校閲と記載があるので興味を持っていたが、京都府立図書館にあることがわかったので読ませていただいた。

 著者の井上秀二(18761943)は、京都大学土木工学科の第一期生として明治33(1900)年に卒業(成績優秀で銀時計受賞)した後、明治35(1902)年に京都市土木課長となり、京都市の上下水道新設・疏水発電増強・市電新設の三大事業推進に活躍した土木技術者で、第二疏水の建設面で田邉朔郎と組んで推進した著名な技術者であり、昭和11(1937)年に日本土木学会第24代会長に任命されている。

 170頁の小冊子であるが、発行時期が山科疏水にある「日本最初の鐵筋混凝土橋(第11号橋)」が建設された明治36(1906)年の3年後であり、当時の鉄筋コンクリート技術の設計レベルがわかると期待したが、内容はもっと学術的な内容で、種々の条件下での応力計算式を微分方程式を駆使して解説したものであった。その中から琵琶湖疏水に関係する平易な関係部分を拾って紹介する。

 

2)緒言の全文紹介

 明治中期の学術書の文体は格調が高く、趣旨がはっきり示されているので全文紹介する。

  

耐久・強力・廉価。施工の容易及び體裁の美、総て之れを土木工事の主眼とす。これ等要求の最も多きを満たすものは鐵筋混凝土工是れあり。

 故に泰西諸国においては、之れが創案以来尚ほ浅しと雖も、其各種構造物に適用せらるゝは実に盛大にして、まさに鐵時代を経過し、鐵筋混凝土時代を提出せんとする気運を示しつつあり、本邦現時に於いては其應用尚ほ寥々の嘆を免れ得ざるも、近き将来に於いて旺盛の気運に至るべきは固り喋々を須ひさるなり。

 本書は公務の余暇を用いて、部下技術員の需に応じ、欧州で行われつつある鐵筋混凝土の応力計算法の一部を講述したものである。短期の講述で完全なものではないが、まちがいが多くあることを前提に活用していただき、問題あれば指摘してほしい。

          明治396月        井上秀二

 

 

                  C-01-25-1

3)鐵筋混凝土の起源

 昨年5月に本ホームページ「C-03-42 コンクリートと鉄筋コンクリートの歴史」

に、最新の情報を含めて概略の歴史を集約して紹介したが、それから約110年前に類似の記事が存在することに興味を持ったので、その全文を紹介する。

  

 

 450年前、英国のFair bairnが試験的に作成したのが最初である。37前、フランスのM0nierが一つの様式を案出、これが今日の「モニエ-式」でフランスで創案を発表して用いられ、ドイツで1880年ワイス会社の名でモニェ式特許を取得してPRしたので注目された。しかし、1890年に至る10年間は家の壁床柱に用いるに止まったが、1890年以降アスビック式()、コツタンカン()、ラビッツ式(ドイツ)、メラン式(オーストリー)、ランソーム式()、等で順次広く用いられるようになる。

今日では鉄筋混凝土の強度に不安を抱くものはなく、橋梁・貯水池・堰・堤・擁壁・水管・杭・その他各種の工事に適用されるようになった。

 

 

4)メラン式鉄筋コンクリート製橋梁に関する記録

山科疏水の第11号橋の石碑に米蘭(メラン)式アーチ型と記述されているが、私も平成20(2008)3月に本ホームページ「C-01-15 本邦最初の鉄筋コンクリート橋」で、

オーストリアのメランが吊橋のたわみの理論を発表したのが明治21(1888)年で、メラン式鉄筋コンクリートの特許が発表されたのは明治25(1892)年と指摘したが、今回の井上秀二の著書にも、「メラン式とはコンクリートに鉄造の拱を並行に数條埋設したもので、通常L型もしくはT型の鉄を上臥材および下臥材となし、上下をワーレン式に連結したもの」と説明しているので、第11号橋を「メラン式」と記載した由来が判明したと考えている。

 今回の書籍にメラン式橋梁のスケッチ図があるので、その概略を示したのが下図である。

 

 C-01-25-1.jpg

 以上、本報告は明治中期における鉄筋コンクリートの技術記載を紹介するとともに、第11号橋がメラン式と呼ばれる由来を解説したものである。

             C-01-25-2(完)


C-01-24 琵琶湖疏水に使用した煉瓦に関する追加情報(1)

     琵琶湖疏水の散歩道・第475話(2011-02-08)    KANKANBOW

 

1)第二疏水に使用した煉瓦に関する資料

 明治から大正にかけて、日本の煉瓦造りは「日本煉瓦製造(埼玉)」、「大阪窯業()」、「岸和田煉瓦(岸和田)」の3社が大手であったが、岸和田煉瓦のネット検索によると、最も古いのは明治5(1872)年に旧藩士・山岡尹方の創業による岸和田煉瓦と伝えられる。

 第一疏水は山科御陵に煉瓦工場を建設したが、第二疏水は煉瓦を外部から購入しており、岸和田煉瓦の刻印である×印の煉瓦を各所で見付けることができるが明確な記録は残っていない。

 京都市役所がまとめた「京都市三大事業誌・第二疏水編・第789集(大正24月発行の186頁に煉瓦の購入明細記録が存在するが、使用量は鉄筋コンクリート採用で減少している。仕様書によると、焼煉瓦(表面茶褐色)と並焼煉瓦(深赤色)2種を10回に分けて購入しているが、大部分の煉瓦の購入銘柄は不明である。

1(42-07-03)・・・140万枚購入、トンネルに使用、金額18900

2(43-07-22)・・・1.6万枚購入、発電所工事に使用、322

3(43-09-13)・・・16.7万枚購入、発電所排水工事用、大阪窯業製、2470

4(43-07-19)・・・43.4万枚購入、送水鉄管敷設用、

5(44-01-27)・・・44.3万枚購入、鴨川水路付帯工事用、大阪窯業製、6644

6(44-03-30)・・・500万枚購入、水路各所使用、66500

7(即納)・・・・・1.5万枚購入、伏見発電所用、125

8(44-04-20)・・・0.9万枚購入,発電所用、横鼻黒煉瓦、315

9(44-03-25)・・・31万枚購入、発電所用、3328

10(44-05-05)・・・1万枚購入、発電所用、133

 以上合計780万枚で、第一疏水1370万枚の半分強となっている。

 

2)第一疏水・煉瓦工場の職員リスト

 御陵に建設された煉瓦工場は、下記により建設・製造・閉鎖・撤去されている。

  明治19(1886)07月 煉瓦工場を御陵に建設し、煉瓦の製造を開始

  明治21(1888)02月 北工場を監獄に委託し、服役者に製造させる

  明治22(1889)10月 1369万個の煉瓦を製造し、工場を閉鎖し施設を撤去

 その間の市職員の配置状況について、「琵琶湖疏水要誌()」に紹介されているので引用する。

煉瓦製造責任者 片山正中 16-07-0721-01-25(44ヶ月) 第6代市会議長(41 42

煉瓦工場 主任 児島定七 21-01-3122-03-30(13ヶ月) 月俸50

                C-01-24-1

煉瓦工場 付属 蘇我 寿  19-06-1621-05-312年)   月俸7

     〃  菊田宗太郎 19-06-1621-05-3117ヶ月) 月俸25円(技師採用)

     〃  立田茂年  19-06-1620-10-0414ヶ月)  月俸16

     〃  井上久吉  19-06-1620-04-2111ヶ月)  月俸10

     〃  中原喜造  19-05-1421-01-109ヶ月)   月俸10

     〃  鈴木 結  20-12-2421-01-3122ヶ月) 月俸10

     〃  阿川忠貞  21-03-1622-04-3022ヶ月) 月俸10

     〃  安井常次郎 21-05-0123-06-3122ヶ月)  月俸6

     〃  高橋吉平  21-05-0122-01-309ヶ月)   日給20

     〃  中野正信  21-05-0121-10-316ヶ月)   日給20

 〃  佐藤繁太郎 21-05-0122-01-319ヶ月)    日給20

 〃  上原与七郎 19-12-1622-12-2631ヶ月) 月俸7

 〃  福田吉一  20-03-1021-01-3111ヶ月)  月俸7

 〃  野村武次郎 20-11-2923-04-3026ヶ月) 月俸8

 〃  武谷宗十郎 21-08-0122-08-3111ヶ月) 日給20

以上、当時の勤務状況や給料内容がわかって興味深い

 

3)わが国の煉瓦の歴史と疏水の煉瓦との関わり

 煉瓦の歴史には多くの資料が存在するが、ここでは煉瓦と建築(74号)から抜粋した日本土木遺産調査会資料「蹴上インクライン復元工事報告書」記載の年表を紹介すると、

 安政4(1857)年 長崎鎔鉄所(後の造船所)起工。オランダ人ハルデスの指導で地元の瓦

         屋が日本初の赤煉瓦を焼成する。

 慶応元(1865)年 横須賀製鉄所起工、化学係として仏人ボエルを雇い入れ、やがて邦人が

         煉瓦を製造

 慶応3(1867)年 佐賀藩と小城藩で英人技師モリスが煉瓦を製造。

 明治元(1868)年 英人ウォ-トル設計の大阪造幣寮起工。煉瓦製造も彼が指導。

 明治3(1870)年 阪神間鉄道用煉瓦製造所を英人技師指導で堺に開設。菊田宗太郎、煉瓦

         製造に従事

 明治8(1875)年 宇都宮三郎、工務省深川工作所でセメント国産化に成功 

 明治16(1883)年 英人コンドル設計の鹿鳴館竣工(構造体は煉瓦造)

 明治18(1885)年 琵琶湖疏水工事起工式

 明治19(1886)年 山科に設置した疏水用煉瓦工場、途中から生産へ(菊田宗太郎採用)

          明治20(1887)年 日本初の機械化大量生産煉瓦製造会社設立、独人煉瓦製造技師チーゼ     

          の指導による。山科の煉瓦工場5月に落成。

明治22(1889)年 日本煉瓦製造会社で日本初の煉瓦成形機が稼働し始める。10月に山科

                 C-01-24-2

          の煉瓦工場廃止(製造個数1360万本)

  明治44(1911)年 帝国劇場竣工(鉄骨煉瓦建築)

  大正09(1920)年 煉瓦生産量がピークを迎える

  大正12(1923)年 関東大震災発生、煉瓦構造物の多くが倒壊。煉瓦時代にピリオッド

  大正14(1925)年 JESで普通煉瓦の寸法が210×100×60に統一、JISも踏襲

            注)年表の赤字は琵琶湖疏水関連記事を示す

 

4)疏水煉瓦のサイズと刻印

  前項と同一資料によると、疏水では厚さの異なる3種類の煉瓦が生産されている。①厚さ

  25分、幅355厘、長さ73分、②厚さが2寸、③厚さが18分。

   郷土史研究者の武谷良一氏からいただいた疏水煉瓦(10号橋の南側で採取)の刻印付き

  破片の写真(左の写真)を紹介すると、

      C-01-24-1_convert_20120217105240.jpg C-01-24-2.jpg

   右の刻印は、疏水煉瓦の文字で、前項資料の部分拡大図であるが、この文字の下に番号

  がついており、左の煉瓦刻印では15の字がある。この番号は33まで存在したといわれて

            いる。疏水煉瓦の実物は、琵琶湖疏水記念館に1枚しか展示されていないし、舞鶴の赤煉

瓦博物館にもない貴重なものである。

 最後に         最後に、舞鶴市の“平野”から発売されている洋菓子「焼れんが」を紹介する。

     C-01-24-3.jpg    

 

C-01-24-3(完)

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①京都歴史  
1)京都にある宮内庁管轄の三庭園見学(2003.11.13)
2)「綾戸大明神」が神仏共同で記念大祭(2003.12.16)
3)二条城にある和洋折衷庭園「清流園」(2005.4.18)
4)京都御所秋季一般公開に見学(2005.11.5)
5)京都国立博物館の庭園紹介(2005.12.1)
6)山科勧修寺の菊花と紅葉を訪ねて(2005.12.2)
7)京都御所障壁画の新春初公開(2007.3.27)
8)二ヶ所で開催された赤穂義士祭を見学(2007.12.15)
9)京都御苑歴史ふれあいの道散策(1)(2008.12.16)
10)京都御苑歴史ふれあいの道散策(2)(2008.12.20)
11)京都御苑・歴史ふれあいの道散策(3)(2009.1.27)
12)岩屋寺にある「大石良雄君隠棲旧址」碑の話題(2010.9.12)

②その他  
1)大阪造幣局の「桜通り抜け」見学(2004.4.21)
2)長岡京の「光明寺」の紅葉を訪ねて(2004.11.28)
3)春の「京都府立植物園」の紹介(2005.5.1)
4)平成17年度春の平安神宮神苑無料公開(2005.6.12)
5)96年続いた「ひらかた大菊人形展」が終幕(2005.11.30)
6)岡崎の細見美術館を訪ねて(2006.1.22)
7)梅小路公園…春の見学記(2006.5.7)
8)府立植物園散策(2)(2006.5.23)
9)開館10周年の大山崎山荘美術館をたずねて(2006.5.28)
10)近畿地区の「アジサイ」の名所(2006.8.7)
11)近畿地区の「ハスの花」の名所めぐり(2006.8.15)
12)2006年―晩秋の植物園・金閣寺・円山公園(2006.12.6)
13)2006年―桜の名所の紅葉めぐり(2006.12.10)
14)冬の京都府立植物園を散策(3)(2007.2.24)
15)平安神宮に関する追加情報(1)(2007.3.3)
16)明治23年に起ったトルコ軍艦沈没事件(2007.3.20)
17)平安神宮の追加情報(2)(2007.4.9)
18)琵琶湖一周による桜の名所めぐり(2007.4.14)
19)岡山後楽園の大芝生庭園の見学(2007.7.4)
20)京都府立植物園(4)初夏の散策(2007.7.16)
21)京都府立植物園(5)半木の森・半木神社(2007.7.23)
22)京都府立植物園(6)初秋の散策(2007.9.10)
23)平安神宮神苑散策(池に架かる橋)-(1)(2007.10.5)
24)平安神宮神苑散策(池に架かる橋)-(2)(2007.10.8)
25)京都府立植物園の話題(7)(2007.10.29)
26)朝鮮通信使来日400年記念の再現行列見学(2007.11.6)
27)秋の紅葉見学記(08-1)鶏足寺(2008.12.1)
28)秋の紅葉見学記(08-2)神戸森林植物園(2008.12.3)
29)平成21年度の枝垂れ桜見学記(2009.4.10)
30)尾張2大・藤めぐりツァーに参加(2010.4.28)
31)「さるすべり」の並木道・街路樹について(2010.10.7)
32)明治23年に起ったトルコ軍艦の沈没事件(2)(2010.10.8)
33)秋の須磨離宮公園見学記(2010.11.11)
34)2010年度 琵琶湖疏水・岡崎活性化新聞記事の集約(2010.12.31)
35)比叡山麓の曼殊院と詩仙堂で新緑を楽しむ(2011.5.26)
36)加茂町の「岩船寺」と「淨瑠璃寺」のアジサイ見学記(2011.7.8)
37)京の地図学者「森幸安の世界」展が2年計画で開催(2011.8.8)
38)武田薬品工業KK「京都薬用植物園」を見学(2011.10.20)
39)日本新薬KKの「山科植物資料館」を見学(2011.10.27)
40)平成23(2011)年の琵琶湖疏水・岡崎関係新聞記事リスト(2012.1.8)
41)特別展「京の地図学者 森幸安の世界展」第2報(2011.1.10)
42)講演会「“はやぶさ”が持ち帰ったもの」に出席(2012.2.19)
43)平成24(2012)年の琵琶湖疏水・岡崎関連新聞記事リスト(2013.1.4)
44)平成25年(2013)度琵琶湖疏水・山科・岡崎地区関連新聞記事(前半)一覧
45)平成25年(2013)度 琵琶湖疏水・山科・岡崎地区関連新聞記事(後半)一覧

③ブログの話題  
1)ブログ投稿1年間の件数と題目(2008.11.20)
2)ブログ投稿2年間の件数と題目(2010.3.10)
3)2011年3月末のブログの目次連番一覧表(2011.3末)
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①文学  
1)菊地寛の短編小説「身投げ救助業」(2003.2.21)
2)谷崎潤一郎の長編小説「細雪」(2003.5.23)
3)志賀直哉の長編小説「暗夜行路」(2003.5.25)
4)明治21年に発表された琵琶湖疏水八景(2004.4.4)
5)哲学の道と谷崎潤一郎(2005.4.9)
6)琵琶湖疏水と小説家・横光利一(2009.11.03)
7)大津絵と山科絵の話題(2011.4.7)

②芸術・石額  
1)疏水に残された明治元勲の石額文字(2003.12.5)
2)疏水第2トンネル西口洞門を画いた蓮佛さん(2005.1.15)
3)堂本印象画伯が画いた琵琶湖疏水(2005.1.16)
4)現代音楽作品「三井の晩鐘」が受賞(2005.3.26)
5)琵琶湖疏水の活用に情熱を注いだ(故)浅見素石さん(2006.11.28)
6)「ねじりまんぽ」とその「陶板扁額」について(2007.2.27)
7)琵琶湖疏水に掲げられた扁額例(1)(2008.3.4)
8)琵琶湖疏水に掲げられた扁額例(2)(2008.3.6)
9)琵琶湖疏水に掲げられた扁額例(3)(2008.10.5)
10)第一疏水の洞門石額の説明版(案)(2008.12.15)  
11)田村宗立と河田小龍の絵図(1)(2008.12.25)
12)田村宗立と河田小龍の絵図(2)(2008.12.28)
13)府立総合資料館所蔵の疏水工事写真(2009.1.14)
14)22年度疏水記念館の特別展(絵画)見学記(2010.2.21)
15)設置された疏水トンネル洞門の扁額説明板(2010.4.1)

③文化財  
1)世界遺産シリーズ① 世界遺産の概要(2006.7.3)
2)世界遺産シリーズ② 日本の世界遺産とその候補(2006.7.5)
3)世界遺産シリーズ③ 琵琶湖疏水の取り上げ方(2006.7.7)
4)世界遺産シリーズ④ 暫定リスト申請4件決定(2007.1.25)
5)経済産業省が認定した近代化産業遺産(2008.7.6)
6)琵琶湖疏水の文化財選定件数(2008.7.12)
7)山科安祥寺に由来する文化財(2008.11.13)
8)世界遺産候補から見た琵琶湖疏水の弱点(2010.9.10)
9)世界遺産の認定を受けた世界の運河(1)(2010.9.18)
10)世界遺産の認定を受けた世界の運河(2)(2010.9.20)
11)シンポジウム「琵琶湖疏水を世界遺産へ」に出席(2010.10.5)
12)世界遺産候補としての琵琶湖疏水-2(2011.3.13)
13)「重要文化的景観」候補として岡崎地区を(2012.4.8)

④観光開発  
1)観光開発面から見た疏水の整備計画(1)(2006.6.29)
2)「琵琶湖疏水に通船復活」の要望書を提出(2006.11.19)
3)京商主催の第2回疏水フォーラムに参加して(2007.2.20)
4)経済産業省が「近代化産業遺産」を認定(2008.5.12)
5)区民の誇りの木と琵琶湖疏水(1)(2008.8.3)
6)区民の誇りの木と琵琶湖疏水(2)(2008.8.5)
7)蹴上発電所の近代化産業遺産(2009.1.20)
8)京都知恵博の琵琶湖疏水イベントに参加(2009.11.10)
9)平成22年「京都創生推進フォーラム」に参加(2010.7.26)
10)琵琶湖疏水・疏水本線スタンプラリ-を開催(2010.11.28)
11)岡崎活性化・オカシル講座(第2回)に出席(2010.12.18)
12)岡崎地区夜のイベント「あかりとアートのプロムナード」開催(2011.10.31)
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①池泉用水  
1)無鄰菴に造園家・小川治兵衛の記念室(2003.3.28)
2)疏水の水を利用した「織寶苑庭園」の公開(2003.4.24)
3)並河靖之七宝記念館を訪ねて(2003.5.7)
4)明治時代に造成された円山公園(2003.5.31)
5)疏水の水でうるおう平安神宮神宛(2003.6.8)
6)哲学の道の西側にある光雲寺庭園(2003.6.12)
7)名庭と京料理「洛翠」の庭園見学(2003.7.12)
8)三条大橋の橋脚石柱が近代庭園の石材に(2003.11.16)
9)疏水の水を引いた「何有荘庭園」見学(2004.4.25)
10)南禅寺・大寧軒(だいねいけん)の庭園見学(2004.5.27)
11)小川治兵衛と平安神宮(2004.6.21)
12)小川治兵衛の庭のデザイン感覚について(2004.7.13)
13)疏水の水を引く東山南禅寺界隈の施設(2004.8.18)
14)「無鄰菴」と「何有荘」の両庭園を見学して(2004.11.27)
15)「何有荘」と稲畑勝太郎(2005.4.4)
16)南禅寺と琵琶湖疏水(2006.7.6)
17)南禅寺塔頭-南禅院と天授庵を見学(2006.7.17)
18)蹴上・何有荘(かいうそう)庭園の歴史(2006.7.24)
19)山縣有朋の絶頂期に造営された無鄰菴(2007.5.5)
20)無鄰菴にある小川治兵衛の記念室(2007.6.10)
21)三条・五条大橋の旧橋桁の利用例-1(2008.7.23)
22)三条・五条大橋の旧橋桁の利用例-2(2008.7.25)
23)円山公園にある円柱形庭石(2008.8.8)
24)京都府立植物園にある石造物(1)(2008.9.11)
25)泉屋博古館とその庭園の見学(2008.10.21)
26)京都府庁・旧本館の庭園見学(2008.10.31)
27)岡崎の洛翠庭園の見学記(2009.3.17)
28)京都御苑内にある旧石柱の利用例(2009.4.05)
29)高瀬川の水を引いた廣誠院と庭園見学記(2009.5.30)
30)旧三条・五条大橋の橋脚石柱の利用例集約(2009.5.31) 
31)亀岡市の楽々荘庭園見学記(2009.7.1)
32)非公開庭園「清流亭」・「桜鶴苑」の見学記(2009.12.9)
33)橋の石柱に関する利用例の追加(2010.3.19)
34)何有荘庭園にあるトンネルの話題(2010.4.18)
35)文化財特別公開・有栖川宮旧邸見学(2010.10.1)
36)秋の特別公開・光雲寺庭園(植治の庭)の見学記(2010.11.29)
37)京都市名勝・伏見の「大橋家庭園」見学記(2012.5.13)

②防火用水  
1)琵琶湖疏水と防火用水(2003.2.14)
2)御所水道と九条山浄水場(2003.5.23)
3)疏水記念館で特別展「御所用水」開催(2007.5.18)
4)御灌水と御所水道(2009.3.24)

③灌漑用水  
1)疏水の水を引いた「音羽水路」の記念碑(2004.6.26)
2)山科疏水と「かんがい用水」の考察(1)(2006.6.7)
3)山科疏水と「かんがい用水」の考察(2)(2006.6.22)
4)山科疏水と「灌漑用水」の考察(3)(2009.5.19,2009.7.1修正)
5)山科疏水と「かんがい用水」の考察(4)(2010.3.23)
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①建設工事  
1)最大規模の煉瓦使用量となった工事(2003.4.5)
2)インクラインの仕組み(2003.5.7)
3)明治初期における大土木工事の実績(2003.10.29)
4)国の文化財に指定された各地の「閘門」(2003.11.18)
5)「インクライン」と名付けられた傾斜鉄道例(2003.11.20)
6)ねじりまんぽに関する追加情報(2004.1.29)
7)第1疏水と第2疏水の工法の比較(2004.7.4)
8)「ねじりまんぽ」に関する新しい情報(2005.9.4)
9)「ねじりまんぽ」の語源関連調査(1)(2006.6.3)
10)インクラインの追加情報(1)(2007.1.14)
11)諸羽トンネル東口近くにある鉄筋コンクリート構造物(2007.2.22)
12)諸羽トンネル横の造形物の由来が判明(2007.12.5)
13)第一トンネルと第一竪坑工事(2008.1.24)
14)琵琶湖疏水の舟溜りについての考察(2008.2.12)
15)本邦最初の鉄筋コンクリート橋について(2008.3.12)
16)第二疏水の建設工事資料(2008.4.28)
17)伏見新放水路の建設経緯と現状(2008.9.6)
18)安朱地区にある第二疏水関連施設(2009.10.31)
19)第二疏水連絡トンネルの建設工事資料(2011.3.1)
20)第二疏水の建設工事資料(2)(2011.3.24)
21)疏水トンネル工事に使用された爆薬の話題(2011.4.29)
22)インクラインの追加情報(2)(2011.9.24)
23)「古写真で見る第一疏水建設」特別展の見学記(2012.1.30)
24)琵琶湖疏水に使用した煉瓦に関する追加情報(1) (2012.2.8)
25)田邉朔郎が校閲した書籍「鉄筋コンクリート」 (2012.2.10)
②環境保全  
1)明治における伝染病対策と上水道計画(2003.6.24)
2)琵琶湖疏水の各所に設けられた放水路(2003.8.26)
3)琵琶湖・南湖の水環境科学館を訪ねて(2005.8.6)
4)京都の下水道処理場の歴史と藤棚見学(2006.5.1)
5)疏水堤防の決壊事件の細部考察(2009.6.10)
6)伏見区にある「森林総合研究所・関西支所」の見学記(2012.5.16)
7)伏見区の京都教育大学「学びの森ミュージアム」見学記(2012.7.25)
③技術全般  
1)日本初の市電「京都チンチン電車」(2003.8.31)
2)蹴上浄水場の改良工事完成後の初公開(2004.5.11)
3)日本における水力発電の歴史について(2004.7.7)
4)蹴上発電所の創建に貢献したデブロー氏の話題(2004.8.30)
5)宇治川に存在する3ヵ所の発電所(2005.6.16)
6)車石敷設200年記念シンポジウムに参加して(2005.11.3)
7)台湾で活躍した土木技師「八田与一」の紹介(2005.11.23)
8)80ケ所を超える閘門を活用した南仏のミデイ運河(2005.12.26)
9)琵琶湖疏水着工時点における世界閘門の技術(2006.1.4)
10)陸上の輸送手段として活用されたインクライン(2006.1.6)
11)蹴上発電所の見学記(2006.1.24)
12)墨染発電所および夷川発電所の概要(2006.1.26)
13)保津峡開削400年を迎えて(その1)(2006.2.9)
14)日本には実用例のない「運河リフト」の紹介(2006.2.26)
15)舞鶴の「赤れんが博物館」を見学(2006.11.12)
16)大阪歴史博物館で「煉瓦・タイル」の特別展を見学(2006.12.31)
17)琵琶湖疏水に使用された煉瓦について(2007.1.17)
18)同志社の煉瓦建造物を見学(2007.1.30)
19)インクライン技術の考察(1)(2007.5.17)
20)水位から見た琵琶湖疏水の考察(2007.5.21)
21)京都近代化の幕開けを指導したワグネル博士(2007.8.4)
22)島津製作所・創業記念資料館を訪問(2007.8.12)
23)第4回「車石・車道シンポジウム」に参加して(2007.9.8)
24)京都市内の浄水場に関する3件の話題(2008.2.8)
25)十石舟と三十石船の話題(1)(2008.4.5)
26)十石舟と三十石船の話題(2)(2008.4.23)
27)琵琶湖船運の主役・丸子船の解説(1)(2008.6.1)
28)琵琶湖船運の主役・丸子船の解説(2)(2008.6.10)
29)疏水分線第4・第5・第6トンネルの現状(2008.7.2)
30)橋の歴史を語る旧橋柱を残そう(2008.9.5)
31)東本願寺修復の瓦の話題(2008.10.8)
32)田邊朔朗が疏水着工前に設計したアーチ橋(2008.11.3)
33)北垣知事が最初に着工した土木工事(2009.1.25)
34)人工水路に応用される逆サイホン技術(2009.4.22)
35)インクライン関係情報のまとめ(2009.8.23)
36)琵琶湖疏水工事の煉瓦の話題(2)(2009.10.20)
37)インクラインに復元された三十石船(2010.4.4)
38)蹴上発電所の柵外に初めて設置された説明板(2010.4.16)
39)リニューアルされた天ヶ瀬ダム見学記(2010.6.10)
40)琵琶湖疏水記念館特別展「疏水分線の移り変わり」(2010.11.22)
41)運河の近代化遺産「閘門」に関する追加情報(1) (2011.1.17)
42)コンクリートと鉄筋コンクリートの歴史(2011.5.20)
43)京都市水道創設100周年記念式典に出席(2012.1.23)

44)福田金属箔粉工業KKの見学記(その1)

45)福田金属箔粉工業KK見学記(その2)
46)京都市水道創設100周年記念の年間行事のまとめ
47)京大大学院理学研究科付属・花山天文台の見学
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①大津運河
1)琵湖疏水と「小関越え道」(2003.2.15)
2)大津運河に設置された「大津閘門」(2003.8.28)
3)天智天皇と漏刻(大津京シリーズ1)(2003.9.2)
4)フェノロサの眠る法明院を訪ねて(2004.6.17)
5)西大津・新羅善神堂と弘文天皇陵を訪ねて(2004.12.31)
6)大津運河・三井寺の夜桜見学(2005.4.16)
7)大津運河の散策ガイド(2005.8.15)
8)大津運河と三井寺内散策(2006.4.26)
9)琵琶湖疏水と江若鉄道(2006.10.02)
10)小関越え道について(2007.1.27)  
11)大津運河周辺の写真の整理(2009.7.30)
12)小関越え関係資料のまとめ(2009.8.12)
13)大津運河の最近の散策記録ー(1)(2009.10.28)
14)第一竪坑を模したエコカフェ建設の話題(2010.8.24)
15)琵琶湖疏水取水口・三保ヶ崎の情報のまとめ(2011.1.20)
16)小関越え道の頂部に完成した配水池(2011.2.19)
17)第一竪坑周辺の整備工事の写真集(2011.7.20)  

②山科疏水  
1)山科疏水に架かる14ヶの橋(2003.2.15)
2)工事で主役を演じた「藤尾地区」(2003.2.15)
3)ジョギングコースの活用(2003.2.17)
4)疏水の北側に建設された寺院・住宅(2003.2.18)
5)諸羽トンネルの東口にある不思議な造型物(2003.4.22)
6)湖西線工事で「第3号橋」が消えた?(2003.4.26)
7)山科疏水の舟下りの記録(2003.7.6)
8)絵図「山科駅近辺の遺跡」(2003.7.10)
9)山科疏水周辺に在る「区民の誇りの木」(2003.7.29)
10)山科疏水の散策記録(1)(2003.7.30)  
11)建設当初に山科疏水に架けられた橋(2003.10.31)
12)山科疏水の散策記録(2)(2003.12.24)
13)山科疏水の散策記録(3)(2004.4.26)
14)山科疏水の散策記録(4)(2005.3.19)
15)山科疏水の散策記録(5)(2005.10.10)
16)山科地区の特産品「砥の粉」の話題(2005.11.02)
17)山科疏水の散策記録(6)(2005.12.5)
18)山科疏水の散策記録(7)水路工事(2006.2.25)
19)山科疏水の散策記録(8)水路工事②(2006.3.26)
20)山科疏水の散策記録(9)天智天皇山科陵(2006.3.30)  
21)山科疏水の散策記録(10)(2006.4.29)
22)山科疏水の散策記録(11)夏模様(2006.8.3)
23)山科疏水の散策記録(12)御陵地区の史跡(2006.11.03)
24)山科疏水の散策記録(13)紅葉の季節(2006.12.3)
25)山科疏水の散策記録(14)本圀寺を訪ねて(2007.1.7)
26)山科疏水の散策記録(15)永興寺(ようこうじ)を訪ねて(2007.2.7)
27)山科疏水の散策記録(16)水路工事③(2007.2.13)
28)山科疏水の散策記録(17)毘沙門堂の節分祭(2007.2.14)
29)山科疏水の散策記録(18)諸羽神社の紹介(2007.5.3)
30)山科疏水を新しい桜の名所に(2007.5.8)  
31)山科疏水の名所にある休憩広場(2007.6.18)
32)山科疏水の散策記録(19)水路工事④(2007.1.18)
33)山科疏水の散策記録(20)安朱の「菜の花畑」(2008.3.28)
34)山科疏水の散策記録(21)真夏の散歩道(2008.7.8)
35)山科疏水の散策記録(22)ウォーキングラリーに参加(2008.10.12)
36)山科疏水の散策記録(23)落葉の季節(2008.12.12)
37)山科疏水の散策(24)四ノ宮近辺の話題(2009.1.29)
38)山科疏水の散策(25)水路と散歩道の清掃(2009.2.19)
39)藤尾地区にある施設のまとめ(2009.7.29)
40)山科疏水の施設・景観のまとめ-1(2009.7.29)  
41)山科疏水の施設・景観のまとめ-2(2009.7.30)
42)山科疏水の施設・景観のまとめ-3(2009.8.2)
43)山科地区にあった京都番組小学校の郊外学舎(2010.2.16)
44)山科・永興寺庭園にある石造物の紹介(2010.2.23)
45)山科疏水の橋物語(1)(2010.3.3)
46)山科疏水の橋物語(2)(2010.3.6)
47)毘沙門堂奥の春秋山荘近辺を散策(2010.3.24)
48)京都番組小学校の山科郊外学舎(2)(2010.6.13)
49)山科地区にあった番組小学校の校外学舎-3 「醒泉小学校」(2011.6.2)
50)山科地区にあった番組小学校の校外学舎‐4「醒泉小学校」(2)(2011.7.29)  
51)山科疏水の散策(26)真夏の散策(2011.7.24)
52)山科疏水(藤尾地区を含む)の歴史年表(2011.8.22)
53)山科疏水を歩いて楽しむ策のまとめ(1)(2011.8.24)
54)山科疏水の景観の特徴と問題点・活用策(2011.8.26)
55)山科疏水べりの「安祥寺」の見学記(2011.12.28)
56)山科疏水に架かる「大岩橋」建設の経緯について(2012.2.28)
57)山科疏水の散策(27)錦秋の四宮舟溜り周辺を歩く(2012.12.8)
58)山科地区にある植物の話題 ① 駅前の街路樹「ユリノキ」(2013.1.7)
59)山科疏水の散策(28)6年振りの「諸羽神社」初詣で(2013.1.9)
60)山科地区にある植物 ②洛東坂にある「モミジバフウ」 (2013.1.25)
61)山科地区にある植物の話題③日本新薬「山科植物資料館」の「奇想天外」 (2013.1.14)
62)山科地区にある植物の話題④「山科植物資料館」にあるメタセコイア (2013.3.12)
63)四ノ宮舟溜の白線引きの作業紹介(2015.2.23)
64)山科疏水の観光船の試運転船運行(2015.3.31)


本年127日付の新聞報道(下方参照)で本年328日にから56日までの土日祝日に観光船の試験運航が実施されると発表されていた。

③蹴上周辺  
1)蹴上疏水公園に集まる田辺朔郎の碑(2003.2.25)
2)蹴上疏水公園にナイアガラ瀑布が?(2003.3.22)
3)平成15年度・蹴上浄水場の見学(2003.5.3)
4)疏水の守護神「日向大神宮」を参拝(2003.5.5)
5)田辺朔郎博士の「紀功碑」の細部説明(2003.7.18)
6)国の史跡に指定された疏水施設(2003.9.14)
7)蹴上地区に関する話題(1)(2004.6.2)
8)インクラインの軸線上に位置する関西日仏交流会館(2005.4.4)
9)平成17年度「蹴上浄水場」の見学(2005.4.29)
10)建設当初の「蹴上浄水場」の話題(2005.5.9)  
11)蹴上周辺に集中する疏水関連施設(2005.7.26)
12)平成18年度「蹴上浄水場」の見学(2006.5.29)
13)京都の名物料理・南禅寺湯豆腐について(2007.8.3)
14)蹴上から日向大神宮への散歩道(2008.1.14)
15)蹴上疏水広場の施設と写真の整理ー1(2009.11.24)
16)蹴上疏水広場の施設と写真の整理ー2(2009.11.25)
17)蹴上疏水広場にある疏水工事殉難碑(2010.5.15)
18)蹴上かいわいの話題について(2011年初夏)(2011.6.18)  

④鴨東運河  
1)十石舟で「鴨東運河」めぐり(2003.3.20)
2)鴨東運河に「雅楽船」が記念運航(2003.4.18)
3)鴨東運河沿いにある六勝寺跡を散策(2003.6.10)
4)岡崎桜回廊十石舟めぐりに参加(2004.5.10)
5)新装成った平安神宮の大鳥居(2004.11.10)
6)京都市動物園の歴史と琵琶湖疏水(2005.2.11)
7)鴨東運河の歴史散策―(1)全般問題(2007.11.15)
8)鴨東運河の歴史散策―(2)橋の話題(2007.11.17)
9)鴨東運河の歴史散策―(3)六勝寺跡の散策(2007.12.27)
10)鴨東運河の歴史散策―(4)石造物その他(2007.12.30)  
11)鴨東運河の歴史散策―(5)大正・昭和時代の話題(2008.2.22)
12)平成20年度鴨東運河の改修工事(2008.2.26)
13)岡崎桜回廊十石舟めぐりスタート(2008.3.29)
14)鴨東運河周辺の「区民の誇りの木」(2008.4.10)
15)岡崎公園・京都市勧業館の歴史(2008.5.7)
16)岡崎公園内にある記念碑の紹介(1)(2008.5.10)
17)岡崎文化ゾーンにある記念碑の紹介(2)(2008.6.14)
18)岡崎文化ゾーンにある記念碑(3)(2008.6.23)
19)岡崎桜回廊十石舟めぐりのまとめ(2009.7.27)
20)岡崎公園にある記念碑のまとめ(2009.10.5)  
21)鴨東運河の施設と写真の整理ー1(2009.11.29)
22)鴨東運河の施設と写真の整理ー2(2009.12.3)
23)京都岡崎地域の活性化策(1)八角九重塔の復元(2010.6.16)
24)京都岡崎地域の活性化策(2)観光案内所の整備(2010.6.23)
25)京都岡崎地域の活性化策(3)平安京記念館(仮称)の設置(2010.6.24)
26)京都岡崎の活性化策(4)夜の観光客増強策(2010.7.2)
27)京都岡崎の活性化策(5)岡崎を起点(帰点)とする散歩道(2010.7.5)
28)法勝寺・八角九重の塔の基礎発掘のニュース(2010.7.30).
29)岡崎文化ゾーンにある記念碑(4)(2010.8.11)
30)岡崎文化ゾーンにある記念碑(5)(2010.8.21)  
31)京都岡崎活性化策(6)岡崎の知名度アップ策(2010.9.2)
32)夷川舟溜りにある北垣国道像の話題(2011.2.10)
33)岡崎の白川沿いにある「竹中庵」の見学記(2012.4.16)
34)京都岡崎を流れる「白川」に関する追加調査(2012.5.3)

⑤鴨川運河  
1)三条京阪から冷泉までの散歩道(2003.3.31)
2)鴨川運河沿いにある天皇陵(深草北陵)(2003.11.1)
3)伏見(別名墨染)インクライン跡周辺散策(2003.12.9)
4)三条京阪から冷泉までの散歩道(その2)(2004.3.10)
5)鴨川運河(塩小路~伏見堀詰)に架かる橋(2004.3.10)
6)鴨川運河(三条~塩小路)の記録メモ(1)(2008.3.19)
7)鴨川運河(三条~塩小路)の記録メモ(2)(2008.3.23)
 
⑥疏水分線  
1)「哲学の道」の関雪桜伐採事件(2003.2.15)
2)水路閣前に新石畳参道が完成(2003.4.1)
3)「哲学の道」の由来(1)(2003.7.27)
4)「哲学の道」の由来(2)(2003.7.28)
5)東山三十六峰の下を走る疏水分線(2003.8.27)
6)多くの学者・文人が眠る法然院墓地(2005.5.4)
7)法然院裏山「善気山」に観察路完成(2005.6.2)
8)疏水分線の延長工事が進行中(2006.9.5)
9)2006年―紅葉の南禅寺道・哲学の道(2006.12.2)
10)疏水分線の延長工事(2)(2007.2.15)  
11)早春の哲学の道・法全院を訪ねて(2007.3.24)
12)哲学の道・大豊(おおとよ)神社の還幸祭(2007.5.29)
13)近く疏水の水が通る堀川べりの散策(2007.7.19)
14)哲学の道・安楽寺の南瓜供養(2007.7.27)
15)哲学の道・冷泉天皇の桜本稜(2007.9.4)
16)橋を辿って「哲学の道」を散策(1)(2007.9.28)
17)橋を辿って「哲学の道」を散策(2)(2007.9.29)
18)疏水関連工事中の紫明通~堀川の散策(2007.10.20)
19)橋を辿って「哲学の道」を散策(3)…続(2007.10.26)
20)紫明通と堀川通の中央分離帯が公園に(2007.12.12)  
21)紫明通~堀川の公園化工事(6)(2008.2.21)
22)紫明通~堀川の公園化工事(7)(2008.4.12)
23)白沙村荘と琵琶湖疏水関連話題(2008.8.27)
24)紫明通~堀川の公園化工事(8)(2008.9.12)
25)疏水分線散策ー1(北白川~下鴨)(2009.3.31)
26)疏水分線散策ー2(紫明通~堀川)(2009.4.02)
27)琵琶湖疏水・水路閣の設計面の考察(2010.10.18)  

⑦関連河川  
1)白川と疏水を称える詩に出会って(2003.4.24)
2)賀茂沿いにある「半木の道」散策(2003.5.5)
3)伏見十石舟の運行と「三栖閘門」(2003.8.28)
4)瀬田川における洗堰の一世紀の歩み(2005.7.3)
5)鴨川提・半木の道の枝垂れ桜(2006.4.26)
6)夏の木屋町筋(高瀬川)の散策(2006.8.28)
7)昭和16年の干拓事業で姿を消した巨椋池(2006.8.31)
8)旧南郷洗堰とのふれあいイベントに参加(2006.11.23)
9)高瀬川の源流(みそそぎ川)周辺を散策(2007.8.8)
11)「淀川の今と昔」見学会に参加―2(2009.3.11)
12)講演会「伏見の水辺を活かす」に出席(2011.1220)
13)二層式河川に改造された「七瀬川」の話題(2012.2.23)

⑧旧東海道  
1)旧東海道散策① 酔芙蓉の寺・大乗寺を訪問(2006.10.04)
2)旧東海道散策② 日ノ岡峠の車石・車道散策・1(2006.10.15)
3)旧東海道散策③ 日ノ岡峠の車石・車道散策・2(2006.10.18)
4)山科地区(四ノ宮~追分)の車石探索・1(2007.10.12)
5)山科地区(四ノ宮~追分)の車石探索・2(2007.10.13)
6)平成20年度車石散策会の行事に参加・1(2008.10.17)
7)平成20年度車石散策会の行事に参加・2(2008.10.18)
8)平成21年度車石研究会のイベントに参加(2009.11.17)
9)一燈園と車石について(2010.5.2)
10)平成22年度車石・車道研究会に参加(2010.10.20)  
11)車石・車道研究会のフィールドワーク(蹴上~三条大橋)に参加(2011.4.15)
12)2011年度車石・車道シンポジウムに参加(2011.9.16)
13)車石・車道関連調査―1(花崗岩の物性面からの考察) (2012.3.21)
14)車石・車道関連調査‐2(牛の削蹄師、牛関連調査) (2012.3.26)
15)車石・車道関連調査-3(歴史的背景からの考察) (2012.3.31)
16)「閑栖寺」に田辺朔郎氏が寄宿していたという話題 (2012.5.10)
2012年2月以前の記事についてはここをクリック(押して)ください。
2月以降の追加記事については下線のついた目次をクリックしてください。


①歴史的背景  
1)琵琶湖疏水建設当時の明治時代(2003.2.19)
2)4回内国勧業博覧会の誘致(2003.1.29)
3)近代京都を没落から救った人々(2003.6.27)
4)岩倉使節団の再評価の動き(2003.8.18)
5)京都近代化の基盤を創った槙村正直知事(2004.3.10)
6)疏水着工前に査定した和蘭人技師デレイケ(2004.4.4)
7)岩倉使節団の再評価の動き(その2)(2004.4.4)
8)大津市桐生にデレイケ氏の胸像があった(2004.8.13)
9)琵琶湖疏水着工後120年を迎えて(2005.6.4)
10)岩倉使節団の再評価の動き(3)(2011.6.24)

②琵琶湖関連  
1)琵琶湖疏水から見た琵琶湖(2003.4.17)
2)琵琶湖の水位変動と疏水への影響(2003.7.2)
3)昭和五年に起こった疏水堤防決壊事件(2003.7.24)
4)三保ケ崎にある「琵琶湖周航の歌」の歌詞碑(2004.9.21)
5)琵琶湖の水位と瀬田川遊覧船巡り(2004.11.02)
6)旧制四高漕艇部の遭難を歌った「琵琶湖哀歌」(2005.1.25)
7)改装された水のめぐみ館「アクア琵琶」(2005.6.30)
8)琵琶湖で観察される蜃気楼の話(2005.12.16)
9)琵琶湖の歴史とその名の由来(2005.12.17)
10)琵琶湖の統計資料・参考資料(1)(2006.2.27) 
11)琵琶湖の統計資料・参考資料(2)(2006.8.17)
12)琵琶湖環状線開業記念列車の旅に参加(2006.10.29)
13)NPO法人・瀬田川リバプレ隊と交流(2006.11.15)
14)琵琶湖の統計資料・参考資料(3)(2007.6.22)
15)堅田にある湖族の郷資料館を訪ねて(2007.12.25)
16)琵琶湖クルーズ・四島めぐりを楽しむ(2008.6.11)
17)琵琶湖の水位観測5万日の報道(2011.1.24)
18)「びわ湖の森の生き物・第4回シンポジウム」に参加(2012.5.29)

③関連解説書  
1)琵琶湖疏水の全般解説書(2003.2.13)
2)生活記録を加味した随筆・解説(2003.2.13)
3)疏水べり散策を中心とした解説書(2003.2.13)
4)田辺朔郎氏を側面から見た解説書(2003.8.28)
5)田邊朔郎氏を側面から見た解説書(その2)(2004.5.28)
6)「琵琶湖疏水の歴史散策」発刊の経緯(2010.03.17)
7)「琵琶湖疏水の歴史散策・平成24年度改訂版」を発刊(2012.12.10)

④その他  
1)琵琶湖疏水と大津事件(2003.2.17)
2)琵琶湖疏水と水泳(2003.2.14)
3)「琵琶湖疎水」か「琵琶湖疏水」か?(2003.6.18)
4)菖蒲谷隧道という名の農業用水路(2003.8.17)
5)琵琶湖疏水の舟運の歴史を訪ねて(2003.12.6)
6)NHK-BS放送「京都疏水の旅」(2004.4.4)
7)琵琶湖疏水と水泳(2)(2004.5.23)
8)英国の「フットパス」と琵琶湖疏水の散歩道(2005.1.27)
9)大津放水路第1期区間完成記念イベントに参加(2005.2.13)
10)琵琶湖疏水と京阪電車(2005.5.22)  
11)高度計を持って疏水道の高度を実測(2005.7.22)
12)疏水百選(①投票による選抜がスタート)(2005.11.6)
13)疏水百選(②京都府から選ばれた候補6件)(2005.12.2)
14)疏水百選(③滋賀県から選ばれた候補6件)(2005.12.4)
15)第1疏水運休時の疏水本線の映像紹介(2006.2.22)
16)疏水百選(④伝説にもとづく名前の疏水)(2006.3.24)
17)疏水百選(⑤選出経過と選定結果)(2006.4.4)
18)疏水百選(⑥築造技術面で注目される疏水)(2006.4.11)
19)疏水百選(⑦日本三大用水・「箱根」)(2006.5.15)
20)第4回世界水フオーラム(メキシコ)の紹介(2006.6.15)  
21)滋賀県醒井養鱒場を訪ねて(2006.9.8)
22)琵琶湖疏水と水泳(3)その後の話題(2007.7.9)
23)京都に2ヶ所あった港の共通点(2008.6.10)
24)第五回世界水フォーラムがトルコで開催(2009.4.15)
25)琵琶湖疏水の年表ー(1)疏水本線(2009.9.12)
26)まぼろしの山科運河(2009.9.18)
27)明治以降に提案された巨大運河計画(2009.9.23)
28)琵琶湖疏水と感謝金(2009.10.4)
29)琵琶湖疏水と水泳(4)その後の話題(2010.5.19)
30)講演会「地下に眠る千年の水脈」に出席(2010.7.21) 
31)農林水産省が選定した「ため池百選」について(2010.11.4)
32)講演会「気候変化に備えるための鍵―地下水―」に出席(2010.12.2)
33)季刊誌「湖国と文化」の琵琶湖疏水特集号(2010.12.24)
34)琵琶湖疏水近辺にはる3つの国際交流施設(2011.2.5)
35)講演会用雑メモ…(1)老人会用(2011.2.18)
36)講演会用雑メモ…(2)大津運河PPT用(2011.2.18)
37)琵琶湖歴史倶楽部の例会で講演(2011.4.12)
38)疏水工事に反対した滋賀県令・籠手田安定(2011.4.20)
39)2011年度「琵琶湖疏水系}の桜のまとめ(2011.5.3)
40)滋賀県令「籠手田安定」の後任となった「中井弘」(2011.5.17)  
41)京都市長と「近代京都の礎を観る会」との懇談会要旨(2011.12.11.)
42)「歩くまち・京都」シンポジウムに出席(2011.12.15)
43)講演会用雑メモ(3) ビオトープネットワーク京都(2011.12.22)
44)講演会雑資料(4)山科「ふるさとの会」で講演(2011.12.23)
45)最高齢のメル友「小堀富久夫」氏の訃報に接して(2012.6.3)
46)「山科の100万年(氷河期~現在)記事」の細部紹介(2012.9.5)
47)「京都インクライン物語」の作者「田村喜子」氏の訃報(2012.10.19)
48)琵琶湖疏水周辺訪問の略歴紹介「平成24(2012)年の記録」(2012.12.27)

 私は、昭和4(1929)年生まれの82歳です。72歳で47年間勤務した化学系企業を退職し、息子の指導で初めてパソコンに取り組み、生まれてから会社生活を終えるまでの自分史をまとめ、パソコンの初歩を学びました。退職後、化学分野の研究開発に明け暮れた人生とは関係のない世界として、「琵琶湖疏水」の歴史と現状を調べることに決めました。そして約2年間の調査結果をまとめて「琵琶湖疏水の散歩道」を自費出版しました。今から考えると、研究論文しか書いたことのなかった私にとって大きい冒険で、京都新聞出版センターの出版担当部長に原稿が赤くなるくらい修正していただいたことを思い出します。

 出版と同時に、孫の指導でホームページ「琵琶湖疏水を語る部屋」を開設して、毎月45件の調査レポートの投稿をつづけてきました。平成18年から疏水以外の記事も含めて、「ブログ・琵琶湖疏水の散歩道」を併設しました。内容の精度は別として、8年間に投稿件数はホームページ475件、ブログ248件に達し、幅広い分野の郷土史仲間や琵琶湖疏水の愛好者との交流により、多くの追加情報や間違いの指摘などを受け、楽しく取り組んでいます。

 平成208月には、顧問を務めている「近代京都の礎を観る会」が平成21年度「京都市ニューツーリズム創出事業」に応募し、琵琶湖疏水散策マップ作成の認定を受け、平成223月にフルカラーの小冊子「琵琶湖疏水の歴史散策」を発刊することができました。

 平成242月には、娘や孫の指導協力でホームページのスタイルを変えました。まもなく83歳になりますが、体力と記憶力の低下に呼応しながら、好奇心を頼りにもう少しつづけたいと考えていますので、今後とも相変わらずのご支援ご指導をお願い申し上げます。

             平成242月    kankanbow(中西一彌)記

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