続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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 B-2-63 山科疏水の観光船の試運転船運行
       琵琶湖疏水の散歩道・第510話(2015-03-31)kankanbow記

 山科疏水の観光船の試運転が3月28日に始まった。山科‐蹴上間ルートの初日の写真を掲載する。 

   試運転1-2 試運転2-2
   


    試運転3-2

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B-2-63 四ノ宮舟溜の白線引きの作業紹介

            
                  琵琶湖疏水の散歩道・第509話(2015-02-23)   KANKANBOW

 

本年127日付の新聞報道(下方参照)で本年328日にから56日までの土日祝日に観光船の試験運行が実施されると発表されていた。

221日の朝、山科疏水を散策した時、掲題の白線引きが実施されていた。

毎年冬期に琵琶湖疏水の通水を止めて流路の掃除を実施するが、このような白線引きがなされたのは私の記憶にはない。この白線は写真に示すように、水面から判別できる10㎝を超える巾広いものである。

四ノ宮舟溜高低差を明確にし、安全走行ができるようにするものと考えられる。

 

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朝日新聞(2015-1-27)の記事

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京都新聞(2015-1-27)の記事

 

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     白線引き作業中(2015-02-21)

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 白線引きされた四ノ宮舟溜(第2トンネル入り口)白線引きされた四ノ宮舟溜(第2トンネル出口)

 

B-02-62 山科地区にある植物の話題④ 「山科植物資料館」にあるメタセコイア

        琵琶湖疏水の散歩道506話(2013-3-12)  KANKANBOW記

(1)まえがき

 平成23(2011)年度は、武田薬品工業KKの「京都薬用植物園」と日本新薬KKの「山科植物資料館」の見学をさせていただいた。両植物園とも最長樹高の樹木はメタセコイアで、前者の樹齢は60歳、後者は65歳と伺った。山科植物資料館のメタセコイア(和名アケボノスギ)は周辺の住宅化が進み、近隣マンションの高さに切断したと聞いたが、恐るべき成長速度である。

 メタセコイアの命名者は日本の三木茂博士で、昭和14(1939)年に関西地方で化石として発見、昭和16(1941)年に学会発表され、絶滅種の樹木とされてきたが、数年後の1945年に中国四川省に現存することが判明し、「生きている化石」と話題を呼んだ。日本への伝来は昭和24(1949)年で、アメリカのカリフオニア大学のチエニー博士が天皇に四川省の苗を献上したのが最初で、その翌年届いた苗が全国に配布されたという昭和伝来の歴史の浅い樹木とも言える。上述の「京都薬用植物園」と「山科植物資料館」のメタセコイアは、伝来直後の時代のものと想定される。

 その後、伏見区の京都教育大学「まなびの森」にあるメタセコイアの並木を見学し、三重県立博物館にある情報も入手、検討した。これらの内容の一部は、「やましなを語りつぐ会」の例会でも紹介したが、ここでは新しい情報も加えて少しくわしく紹介する。

 

(2)伝来の歴史の詳細

調べてみると、京都市の大学敷地内や植物園で「メタセコイア」の無いところは存在しないと言っても過言でない。敷地内を集団の形か一本だけで役目を果たしている。由来を示す説明板は各所に存在するが、その中から伏見区にある京都教育大「まなびの森」にある説明を引用すると、

・・・中国の中・南部に自生する針葉樹で、1948年に静生生物研究所の胡博士と南京大学の鄭教授によって記載されました。属名Metasequoiaは後述のように化石に基づいて日本で付けられた名前で、種名のglyptostroboidesは中国の水松Glyptostrobusに似ていることから名付けられました。成長が早く円錐形の見事な樹形を示すことから、各地で植えられています。本学のものは1966年頃に植えられたもので、当時は樹高2mほどの小さいものでした。

 メタセコイアの化石(Metasequoia distica)は日本列島各地の新生代第3期の地層から化石として産出します。また、日本のみならずカナダ北部やシベリア、グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していたことが知られていて、第三紀周北極植物群の代表的な樹木として位置づけられています。

 周北極というと寒冷な気候を思い浮かべてしまいますが、温暖で湿潤な気候で生育するものです。また新生代第四期になると地球全体が寒冷化して、氷期と間氷期がくりかえす時代になりますが、近畿地方ではこの寒冷期に伴って絶滅してしまいました。

 かってメタセコイアの化石は北米東海岸で巨木になるセコイア属あるいは湿潤なところに生育するヌマスギ属の仲間と考えられていましたが、1941年、当時京都大学にいた植物学者三木茂博士によって、セコイア属やヌマスギ属とは異なる新しい属として命名されました。このように化石から命名されたメタセコイアは地上から絶滅したものと考えられていたのですが、同じく中国の研究者によって長江(揚子江)の上流部四川省の奥地で発見され、1948年には新種記載がされたのです。

日本の各地でみられるメタセコイアは、中国からアメリカに贈られたものが、さらに日本にもたらされたものです。このようにして生きている化石は再び日本の各地によみがえりをしたのです。・・・  

                                    

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    メタセコイア説明板 
2012-06-25-4948            校内全体図(説明版は中央下部) 2012-06-25 
  

   
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         メタセコイア並木道の外観  201206254946   

 

関西地区で一番有名なメタセコイアは、琵琶湖の北端に近い滋賀県高島市に存在する「マキノ高原のメタセコイア並木道」である。昨秋は、メタセコイアの思い出の締めくくりとして見学する機会を得た。

         ・5convert_20130312013255      

 この並木道は、県道に沿って延長2.4kmにわたって約500本が植えられている。説明版によると、この並木は、昭和56(1981)年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのがはじまりで、その後も植え継がれて約30年で現在の雄大な姿になったものである。

 この並木道は、平成06(1994)11月に読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定された。もう1ヶ所、新潟県豊栄市朝日町のメタセコイア並木も選定されているが、ここは1km・186本であるから、滋賀県高島町の並木道は日本随一の「メタセコイア並木道」である。この並木道は、春の芽吹き・新緑・夏の深緑・秋の紅葉・冬の裸樹と四季折々に美しく、円錐形のメタセコイアの並木とまっすぐに伸びる道路が造り出す対称模様の整った景観はすばらしいと紹介されている。紅葉前の深緑の季節の訪問であったが、季節を変えて見学したいと思っている。

 

3)メタセコイアに関する関連情報

1)日本新薬KKの「山科植物資料館」にあるメタセコイア

  説明の順番があとになったが、私が最初に訪問したのが「山科植物資料館」である。訪問の主目的が「壬生ヨモギ」であったので、メタセコイアの写真はわずか次の2枚であった。

  ・6convert_20130312013312 ・7convert_20130312013342

      アケボノスギの名札が付いており、メタセコイアの名は無かった(20111024006007)

  案内担当者の口頭説明では、前述のごとく近くのマンションの日射面から頂部を切断した巨木であり、その印象は強かったが、その時点で別名「メタセコイア」との説明があったように記憶している。

 

2)京都府立植物園のメタセコイア

 地下鉄北山駅を下車して入園し、右側にある「宿根草有用植物園」を進むと、「なからぎの池」の左手に「針葉樹林帯」が存在するが、その中に数本のメタセコイアが混在している。道に接近して植栽されているので、名札に注意しないと見過ごしてしまう。ここでは写真の掲示を省略する。

 

) 京都市内に存在するメタセコイアの「区民の誇りの木」について

 調べてみると、下記の8ヶ所に存在する。

上京区(京都御苑)・・・・・樹高23m、幹周1.81

  右京区(嵯峨水尾)・・・・・樹高35m、幹周3.15

  左京区(京都大学グランド)・樹高20.0m、幹周2.45

  東山区(知恩院)・・・・・・樹高19.0m、幹周3.15

  南区 (上鳥羽小学校)・・・樹高16m、幹周1.65

  伏見区(森林総合研究所)・・樹高24.0m、幹周2.80

  山科区(今屋敷公園)・・・・樹高12m、幹周1.45

  山科区(山科中学校)・・・・樹高15m、幹周1.85

 

 山科区の2ヶ所については、機会を見付けて写真を撮る予定である。

 

                  

B-02-61 山科地区にある植物の話題③日本新薬「山科植物資料館」の「奇想天外」

         琵琶湖疏水の散歩道505話(2013-01-14)     KANKANBOW記

 

1)まえがき

 私は、季節を変えて年間十数回にわたり「京都府立植物園」を訪問しており、時々その見学記をホームページかブログに投稿してきたが、その中に珍しい植物「奇想天外」の話題も下記3回取り上げている。  
  G-02-14 冬の京都府立植物を散策(3)(2007‐02‐24)・・・221話
 G-02-25 京都府立植物園の話題(7)(2007-07-23)・・・242話
 G-02-39 日本新薬「山科植物資料館」の見学記(2011-10-27)…464話

最近、「山科地区に存在する植物の話題」と題したシリーズ物の連載を地域の歴史愛好グループが刊行している冊子に投稿することになったので、この「奇想天外の話題」を取り上げたいと考えて、その準備作業のため過去5年間のデータを整理した。そして、京都府立植物園と山科植物資料館とのつながりを教えてくれたのも「奇想天外」の話題であった。家から歩いて行ける距離に薬用植物園があるのはラッキーである。以下、最近の追加情報も加えてその要旨を紹介したい。

 

2)上記3報告の中の「奇想天外」記事の抜粋

 (1)府立植物園の温室内での「奇想天外」と出会いと盗難事件後の再公開

何年か前に、初めて植物園の温室で「奇想天外」の名がついた植物に出会った。調べてみると、植物専門分野ではよく知られた植物で、ヤフー検索で5万件弱(2013年の検索では8万件弱に増加)の情報のあることがわかった。情報の少ない人のために若干補足紹介すると、この植物はアフリカの赤道直下のナミブ砂漠のみに生育し、10m以上深くにある地下水を吸い上げて、2枚の葉だけを伸ばしつづけ、環境条件が揃えば1,000年以上の寿命があるという不思議な生態を持ち、形もグロテスクなところから「奇想天外」の名がついた。雌株は裸子植物で雄株は被子植物であり、雨の少ない砂漠で発芽することが稀で、生育の難しい植物といわれてきた。

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手前にある大きい葉の奇想天外(今回撮影)

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何年も前から掲げられた説明パネル

ところが平成1811月に京都新聞が、平成16年(20048月、この「奇想天外」が何者かに盗まれ困っていたところ、約1年後の9月に日本新薬山科植物資料舘(山科区)から兄弟株の寄贈を受け、今回2年ぶりに復帰しこのたび公開に踏み切ったと報じた。
 この報道によると、植物園では昭和48(1973)から「奇想天外」の栽培を始め、平成7年(1995)には植物園の雌株と資料館の雄株とを人工交配させて完熟種子を採取し、両方の機関で種子を発芽させて、温室内で展示していた。今回資料館から兄弟株の寄贈を受け、盗難に遭った場所に植えて成長が確認されたので、展示を再開したものである。
                           
 2)展示再公開の経緯について府立植物園が解説パネルを展示

 

奇想天外という名の植物が、温室内にあり、この珍しい植物が盗まれて困っていたところ、日本新薬山科植物資料館(山科区)から兄弟株の寄贈を受け、2年ぶりに復帰した話題を前項で紹介したが、この復活劇の細部と植物の概要を示した解説パネルが温室内の休憩室にあったので、その一部を引用紹介する。
 京都府立植物園と日本新薬植物資料館における「奇想天外」の栽培経緯を表示する。

 

   7.gif
 1996年に発芽した苗はそのご順調に生育し、2004年に植物園温室内に植栽したが、その直後盗難にあった。2006年に資料館から兄弟株2株の分譲を受け、現在に至っている。

 

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植物園と日本新薬資料館の交流経緯

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奇想天外の概要説明

 (3)日本新薬KKの「山科薬用植物園」で初めて「奇想天外」の花を見学

 平成23(2011)年の秋に、個人申し込みで「山科薬用植物園を見学した、多くの薬草の見学をしたが、その中から「奇想天外」の記事を書いたので、引用下記した。

-
 京都府立植物園の温室では、「奇想天害」の雌花を昭和48(1973 )年から栽培しており、平成07(1995)年に府立植物園の雌花と日本新薬植物園の雄花とを人工交配させて完熟種子を採取し、発芽した苗を両方の機関で展示していたが、府立植物園の展示物が何者かに盗まれ、平成16(2004)年に日本新薬から兄弟株の寄贈を受けた経緯がある。私は奇抜な名前から、その概略の知識を持っていたので、今回の訪問で「奇想天外」の見学ができることを楽しみにしていた。そして初めて「奇想天外」の花を見学した。
 矢野勇氏の「珍樹珍草」から引用した説明版(下の写真)の要旨を紹介すると、南アフリカのナミビアの大西洋に面した小さな町スパムコンを出て、砂礫地を走ると、芽を出して4~5年幼苗から推定700800年の「奇想天外」が存在する。1860年にオーストリアの植物学者によってアンゴラ南部の砂漠で発見された。2枚の葉がエンドレスに伸び続け、雌花は松ぼっくり状の花をつける

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キソウテンガイの花 

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矢野勇氏の本から引用した説明版

 

 この植物の発見者は、オーストリアの探検家で植物学者であるウエルリッチ・ウィッエアで、その名が学名に採用された。「奇想天外」という園芸名は、昭和11年(1936)石田兼六氏(岡山)が機関誌「サボテン」で紹介したときの名前で、ユリ科の「オモト」に似ているので「砂漠オモト」という別名がある。
 この植物は、アフリカ南部の西海岸にあるナミブ砂漠の限られた地域に自生する雄雌異株の裸子植物で、終生2枚の葉しか出さない。この珍奇な植物は、現地で推定樹齢2000年の固体も知られている。「奇想天外」がこの砂漠以外に生長しないのは何故か?については研究が進んでいるが、難しいので省略する。さらに詳しくは、植物園お専門家に聞いてほしい。

 

3)あとがき

 前回の訪問見学の時は、山科地区の仲間との交流が無かったときであったが、最近は交流団体との接触も多くなり、もう一度機会があれば、再訪問したいと思っている。そして、質問事項の集約をして、再訪問の効率を高めたい。「奇想天外」についても、京都以外の地区情報も多く集約したい。

B-02-60 山科地区にある植物 ②洛東坂にある「モミジバフウ」

      琵琶湖疏水の散歩道・第504話(2013-01-25)       KANKANBOW記

 

1 まえがき

今回は、樹木シリーズとして「フウの木」の話題を報告する。私にとって「フウの木」は知らない樹木の一つであった。しかし、山科疏水の散策コースに向かう通称「洛東坂」の上部に「区民の誇りの木」の木札のついた「フウの木」の巨木が存在するので、ネット検索調査をして概略を「語りつぐ会」の例会で紹介したことがあった。今回シリーズに取り上げるため、若干調査を追加してまとめたのが本報告である。単なる植物好きの私が短時間にまとめた報告であったが、すばらしい専門家のネット情報の存在を知ったので、その助けを借りて纏めてみた。間違った解釈があればご指摘ご教示を願いたい。(この報告は、私が所属する「やましなを語りつぐ会」の機関誌「笹の音13号」にも投稿したもの」

 

2 フウの木の概要

私の検索調査でもっとも理解し易かったのがアロマテラピーの専門家・石原慎一氏のHPアロタン(アロマテラピーの語源の話し)の中の「カエデと紅葉(もみじ)とフウ(楓)の木」(2007-12-05付)である。

世界に数種類存在するが、日本にはタイワンフウ(東南アジア原産)とモミジバフウ(北アメリカ原産)の2種類が存在する。このように地域が限定しているのを「隔離分布」と言い、前回紹介した「ユリノキ」もその例である。京都市でもっとも有名なのは、京都府立植物園のアジサイ園にある「タイワンフウ」であるが、植物園随一の観賞大木で、4~5年前の週刊朝日の特集号で大きく報道されたことを思い出した。この木は、近隣のライオンズクラブが設置した説明板によると、樹齢約100年で高さ25mある巨木であるが、晩秋になると“紅葉圧巻”と新聞にも紹介されており、大正13(1924)年の植物園開園時に植えられたとの記録もあるようである。今年の京都新聞(1117日)にも「秋の装い鮮やか」と写真入りで紹介されたので、ご存知の方も多いと思う。解説資料によると、「タイワンフウ」はマンサク科フウ属の樹木で、江戸時代享保年間に中国南部から渡来し、原産地には高さ4060mの巨木も存在すると記載されている。

 

 山科区の「フウの木」の立地と種類

 掲題の安祥寺川べり(洛東高校運動場の横)にある「モミジバフウ」は、JR山科駅のほぼ裏側北部に位置している。「山科区民の誇りの木に選定された高さ14m、幹周2.3mの巨木であり、こちらは大正末期に伝来した新しい種目である。山科地区では比較的珍しい大木であるが、道幅が狭いので見上げる必要があり、通り過ぎて気が付かない人も多いようである。

 京都市では区毎に平成1112年に専門家を含む委員会で審議し、872本の「区民の誇りの木」を選定している。6項目の選定基準の中に「背の高い木・形に特徴のある木」があるので数が多いと思ったが、調べてみるとわずかに下表の4件で、有名な京都府立植物園のタイワンフウは選定されていなかった。

区名

   種類

   場所

 高さ(m)

幹周径(m)

上京区

タイワンフウ

京都御苑・今出川寄り

  21

  2.24

左京区

モミジバフウ

 中町公園

  12.5

  1.25

中京区

モミジバフウ

 六角通寺町東入り

  12.7

  0.86

山科区

モミジバフウ

安祥寺川・上野山田

  14

  2.3



                                     

    1_convert_20130131000259.jpg 2_convert_20130131000348.jpg

   京都府立植物園のタイワンフウ        洛東坂のモミジバフウ(実物はもっと美しい)

 

4 「フウの木」の概略説明

フウの漢名は「楓」で訓読みすると「かえで」である。かってカエデ科の木の漢字は「槭」が用いられていたが、この字が常用漢字に採用されず、替って「楓」が用いられたのでややこしくなったといわれている。  「もみじ」と「ふう」は別種で、「もみじ」の葉は対になって生え翼果をつけるが、「ふう」の葉は交互に生え球状の実をつける。タイワンフウの葉は3裂であるがモミジバフウは5~7裂で、実の大きさもタイワンフウがひとまわり小さく、刺の部分もかなり細い。

「フウ」の木の英名はiquid Ambar(液体の琥珀)で、樹皮から香りのよい樹脂がとれることによる命名だが、カナダの国旗に採用されているサトウカエデ(砂糖カエデ)から甘いメープルシロップが造られるから、翻訳面でも親戚扱いである。

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    冬の京都市美術館裏のタイワンフウ並木            タイワンフウの実

 

フウの木は、成長が早く緑葉から始まって黄葉から紅色と変化し、落葉しても特徴ある実をつけて長期間その存在を主張しており、鹿児島など南部では街路樹として採用されている。冬の京都を散策すると、特徴ある実からその存在に気がつくことがあるが、今回の調査で私の大好きな樹木の一つとなった.

                                20121231

 

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