続・そすいのさんぽみち

~2015年4月1日 1件 追加投稿しました。累計510件~
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E-01-37 京都市名勝・伏見の「大橋家庭園」見学記

     琵琶湖疏水の散歩道・第487話(2012-05-13)   KANKANBOW記

 

1)まえがき

 私は、父の商社勤務の都合で各地の港町で生活したことが重なり、波止場の香りや汽笛の音に触れると“ふるさと”を思い出すことも多かったが、京都に定住してからは琵琶湖や鴨川水系の風景を楽しむようになり、「琵琶湖疏水」の散策をライフワークの趣味に選んでからは寺社の庭園にも興味が出てきて、小川治兵衛の作庭した近代庭園見学を重ねてきた。今回紹介する「大橋家庭園」は、京都新聞が平成11(2003)年から13(2005)年にかけて長期連載した「探訪・京滋の庭」の中でも、見学希望面で優先度の高い庭園であったが、10年ぶりにその機会に恵まれた。関連する「草津の湊・魚市場碑」の見学と併せて紹介したのが本報告である。

 

2)水琴窟の紹介

 本文の前に、大橋家庭園の特徴の一つである「水琴窟」の概要を紹介する。江戸中期から明治大正にかけて、江戸や京都の富裕な商人の自宅庭園に、水琴窟を設置することが流行した。しかし、昭和に入ってその流行は一時的に留まっていたが、昭和58(1983)年に朝日新聞の天声人語欄に2回取り上げられた頃から再び人気がでてきて、各地に設置されるようになった。

 水琴窟の基本構造は、庭の水源や手洗い場の排水場に、底に穴の開いた甕(かめ)を裏返して埋め、少しずつ水を流れ込むようにすると、甕の下部の水たまりに水滴が当たった音が甕と共鳴して妙音を奏でる。

 ネット検索すると30万件を越えるビッグサイトになっており、特定非営利活動法人「日本水琴窟フオーラム」では、日本および海外を含めた数百件の水琴窟データベースが分別リストアップされている。京都府だけでも50件以上リストされているが、関東地方の方が数では勝っている。最近ではネット上の「Youtube」で音色を比較して楽しめる時代になった。比較的少ない投資額で設置できるし、大学機関による水琴窟の音色の研究解析も進んでおり、設置件数は年々増加しているようである。

 

3)大橋家庭園の紹介

 この庭園は、瀬戸内の鮮魚を一手に扱う元請けを家業として財を為した大橋仁兵衛の別荘庭園で、JR稲荷駅または京阪稲荷駅から徒歩510分、伏見稲荷の社務所の裏側に位置している。この庭園の別名である「苔涼庭」の苔涼(たいりょう)は、各地網元の大漁(たいりょう)を祈念して名付けたと伝えられる。

 仁兵衛と親交のあった庭師「七代目小川治兵衛」が監修して大正(1913)年に完成した庭園で、昭和63(1988)年に京都市名勝に指定されている。七代目治兵衛は多くの名庭を設計施工しているが、この大橋家庭園にはここにしかない特色が二つ(水琴窟と石灯籠)ある。

 水琴窟は、座敷縁側の手洗と庭の一段低い下り「つくばい」の2ヶ所に存在する。内径6080cmの大甕が埋めてあり、設計面の工夫で百年経過しても音色は変わらず、長時間かけて案内したいただいた四代目当主は京都市トップクラスの水琴窟と自慢され、竹筒を用いて両水琴窟の音色の違いまではっきりと確認できた。

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    客間の縁先にある手水鉢前の水琴窟       庭園東の下がりつくばいの水琴窟(茶室内から写す)

 

 もう一つの特徴は、約100坪の庭園に大橋仁兵衛が集めた12個の石灯籠が並べられていることで、小川治兵衛が多すぎると意見したが聞き入れなかったそうである。正面の奥には保津峡谷を模した茂みが設置されており、通路には伽藍石が三ヶ所に配置され庭の狭さを感じさせない見事な庭園となっている。

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   保津峡谷を模したゾーン           詳しい説明を受けた大型の石灯籠

 

 この庭園は現在も小川治兵衛家の手入れを年間2回受けており、老朽化した庭園施設の修理更新のため維持費面で苦労している話しや採掘が禁止されている鞍馬石など庭石の配置や特徴など興味ある話しも聞かせていただいた。

                


4)伏見横大路にある「魚市場遺跡魚魂碑」の見学

 平成20(2008)6月にホームページ第296号で「京都に2ヶ所あった港の共通点」と題して大津港と伏見港の比較を行ったが、当時は伏見に関する知識の浅い時期で、不十分な報告となった。その後伏見区横大路町あたりに「草津の湊」と称する三十石船の発着場があり、「魚市場遺跡魚魂碑」が建立された経緯を示す資料に触れる機会が多くあり、見学する機会を求めていた。この遺跡碑が“羽束師橋の東詰より100m南へ行った堤防上に建っている”という情報を追って見付けることができた。

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      魚市場遺跡魚魂碑の正面全景          桂川に架かる羽束師(はづかし)

 

 この碑は大正8(1919)4月に建立されたが、昭和(1946)年の地震で倒壊し、現在の碑は昭和60(1985)年に再建されたものである。説明文の一部を紹介すると、

“伏見区横大路は平安京の昔より草津の港として栄え、明治十年京都、神戸間に鉄道が開通するまで一千年の永きに亘り、水上交通の要衝として東西行客の来往盛んとなり、京への生鮮魚介類の輸送もここを集散の場として賑わいを見せていた。しかし、鉄道の開通はこの魚市場を廃墟と化し、その伝統は現在の中央卸売市場に受け継がれているが、旧跡をしのんで大正八年四月大橋家により魚市場遺跡碑が建てられた。しかしその後の荒廃により京都市中央卸売市場の水産小売業者をはじめ、業界関係者の発起、厚志により、この地に「魚市場遺跡碑」が再建(昭和六十年六月)された”。

 羽束師橋の名(はづかし)は珍しい発音なので、京都の地名を集めた古語辞典には必ず登場する。専門家による解説がいくつかあるが、私が持っている吉田金彦著「京都滋賀 古代地名を歩く」にも詳しい説明がある。吉田氏は“長岡京の魚河岸”とサブタイトルをつけている。形容詞の「恥しい」と発音が同じであるので、当て字として「水に関わる地名」と解説している。興味のある方は読んでいただきたい。

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